彼らが頭角を現し侮れない国へと定着したのは、その奇抜な髪形から“ライオン丸”と呼ばれたバルデラマに率いられ、1990,94,98年と3大会連続出場1990年代だろう。1994年大会では直前の南米予選でアルゼンチン代表に5-0と快勝し、優勝候補の一角にも挙げられたほどだ。

赤道に近い他の中南米国家と同じく先住民の混血と黒人選手の混成チームであり、上述のバルデラマのような我が道を行くタイプ、見るからに危険なイギータのような狂人タイプ、アスプリージャのような感性に優れたアフリカンなタイプまで、その独特のフットボールに加えて見た目まで非常に濃い個性派の選手を次々と生み出し、多くのフットボールファンを魅了してきた。

しかしその1994年大会では開催国アメリカ戦でOGを記録したDFアンドレス・エスコバルが帰国後に射殺されるというショッキングな事件が発生。また、2006年には元代表のエルソン・ベセラがナイトクラブで銃弾を受け命を落とし、自国開催で歴史的な初優勝を遂げた2001年コパ・アメリカではテロリストの脅迫を受けたアルゼンチン代表が辞退するなど、今なおマフィアや左翼ゲリラの影響が色濃く残し、その治安の悪さがフットボールの世界にも影を落としてきた。

そしてバルデラマの引退後はマラドーナのアルゼンチンがそうであったように後継者探しに奔走そして迷走。元来ムラのある国民性に加え、メキシコ以上にパスを繋ぐスタイルは時にゴールという目的さえ忘れがちで、そのためストライカーが育たず代表は得点力不足に陥り、それがここ3大会ワールドカップ出場を逃す原因ともなっていた。

その流れに終止符を打ったのがブラジル往年の名選手の名を与えられたファルカオであり、そのファルカオを軸にチームを纏め上げたホセ・ペケルマン監督だ。