恐怖との闘い

接触プレーにより中心性脊髄損傷を受けた相澤は「どんなケガをしたかのか。自分の中でそのときは分からなかった。痛みの度合い、実際上半身は麻痺していた。それを考えたときに、『これずっと動かないのかな』と思っていました」と負傷直後は恐怖が襲いかかった。

精密検査を受けて医師から治るといわれたときは涙を流したという相澤は「親にはちょっと心配ばかりかけて申し訳ないです。でも正直その言われたときも信じられなかったというか。麻痺の度合いもアレだったし、『ここから治るの?』という兆しが分からなかったです」と不安を抱えていた。

病院生活では約1週間首を固定した状態でベッドから起き上がれない状態が続いた。食事も点滴での栄養摂取ときびしい環境だったが、友人の気遣いがありがたかったと振り返る。

「3日4日した時に手が動くようになりました。僕の家から1時間半ぐらいのところに住んでる友達がいて、その友達が首を動かさなくてもいいように携帯電話の車に止めるやつあるじゃないですか。あれを買って差し入れしてくれて。そういうものがあったから(スマホでYouTubeなどを)見られました」と笑顔で明かした。

負傷から1カ月後に退院してから首を固定する時期がしばらく続き、2022年2月のプレー再開時も首を固定していたという。「正直、怖さはめっちゃあります。でも自分にとってサッカーをできないことのほうが怖かった。だったらもう行くしかないみたいな感じでもう勢いでやっています(笑)」と、持ち前の気持ちの強さでプレーを続けた。

リハビリを続けて奮闘した相澤に吉報が届いた。「退院した後はチームはなにもなかったんですけど、病院や千葉の人たちが協力してくれて一緒にリハビリして千葉の練習に参加できるようになりました。そのときにラインメール青森から話をもらって、自分の中では迷いもありつつ(チームが)欲してくれていた。なにかの縁だと思ってそこからラインメールで1年間いさせてもらいました。ラインメールとヴァンラーレが練習試合することが多くて、今年のキーパーコーチが『獲りたい』と言ってくれて、八戸に決まりました」と青森、八戸内定を振り返った。