『ウエーブカップ』まさかの公式戦デビュー

――シューズ開発以外でリヴァウドとの印象的なエピソードなどがあれば教えてください。

開発においては、本当にたくさんのエピソードがありました。強く記憶に残っているものを中心に紹介します。

・2000年6月10日に行われた『ウエーブカップ』開発スタートのミーティング時、リヴァウド本人の第一声で「開発の必要がない」と言われました。本人は『モレリア』に十分満足していたため…。

※リヴァウド「開発の必要がない」

・『ウエーブカップ』の最初のテストシューズを見せ説明した際(2000年11月ごろ)、リヴァウドは終始無言でした。といっても、不満に思っていたのではありません。感動して言葉が出なかったためです。

・急に電話で奥様を呼び出し、シューズとその開発手法について奥様に説明するよう依頼。奥様に自慢したかったようです。

・試合で使わないよう依頼していたにも関わらず、そのテストシューズをいきなり公式戦(※リーガのオサスナ戦)で使用。どうしても試合で使いたくなり、我慢できず履いてしまったとのことでした。

※当時のリヴァウド。通常はこのように『モレリア』を履いていたが、1試合だけイエローラインのスパイクを履いたことがあった。それが『ウエーブカップ』のプロトタイプモデル(下写真)である。

※このように練習で着用し、気に入って試合でも…。

・オサスナ戦後、食事に招待され、バルセロナのチームメイトだったフランス代表MFエマニュエル・プティと1998年ワールドカップ決勝戦の話をしだしたこと。

・その際、リヴァウドに依頼を受けプティさんへシューズと開発手法を説明すると、プティさんから「ミズノのシューズ開発手法(Data Shower手法)はどのメーカーよりも正しい手法だ」とお褒めの言葉をいただきました。ようするに、プティさんにも自分のスパイクを自慢したかったようです。