―選手からの声は必ずしもネガティブなものだけでなく、ワールドカップ予選を突破した時点では多くの選手がハリルホジッチ監督の戦術に可能性を感じていた。不安要素とポジティブな要素とのバランスは?
また、コミュニケーションの問題や溝がそこまで深まってしまう前に協会や西野技術委員長の職務として留めることはできなかったか、その評価は?
「まず一番目のところでお答えします。
もちろん様々な意見があって、私たちは多分皆様以上にその状況について把握しているつもりです。
予選を突破する前からずっと把握しながらやってきて、そのコミュニケーションのところがこうあった、そして信頼選手がいた、これがだんだん変わってきてそれが逆転してしまったのがウクライナ戦、マリ戦だったと認識しています。
そして西野技術委員長のみならず、様々なスタッフがこういう状況を含めて打開しようとか新たな方法を取り入れようと様々な議論してきたという報告を受けています。
そういう努力をしてきたのも事実ですし、そしてハリルホジッチ監督がしっかりと自分の方法であるということをちゃんと仰られてきたのも事実です。そういう繰り返しがあったけれども、残念ながらしっかりとそこを埋めるまでには至らなかった。
それができなかったのは事実として認めますけども、実際にトライしてきたのも間違いないことだと思っています」
―ワールドカップまであと2ヵ月というタイミングでの解任はデメリットも非常に多い。それ以上に変えなくてはいけない状況に追い込まれてしまっていた?
「その通りです。間違いありません。
逆に言うと、このタイミングだからこそ西野監督になったとも思っています。
もしも前であったら西野監督ではないということもあったかもしれません。
でも残り2ヶ月しかないということを考えると、この時期だからこそこの状況でこの決断をした。それくらいの状況になっていたと私は認識しました」