引退もよぎったJ3降格
「本当にサッカーを辞めるかもしれない」
横浜FMを退団した和田はSC相模原、いわてグルージャ盛岡とクラブを渡り歩き、2024年に群馬へ加入。節目となるプロ10年目の終わりを迎えようとしていたが、和田の情熱は消えかけていた。
「去年で群馬を契約満了になったんですけど、チームはほぼ勝てないままJ3に降格してとてもつらかった。 Jリーグのチームに残る選択肢もありましたが、俺としては『飽きた』とまで言わずとも、サッカーを楽しめなくなっていたんです。
もちろんこれは群馬が悪いとかじゃなくて、たぶん勝てていなかったらメンタル的にも落ちるし、そこからJ2やJ3のチームに行ってやる気が起きなかったというか…。正直、シーズンが終わったときにサッカーから離れようと思ったんです」
2023年シーズンは盛岡でJ3を戦い35試合11得点の結果を残し、翌年はJ2群馬に個人昇格を果たしたが、クラブはリーグ最下位で失意の降格を味わった。
これにより、和田は相模原、盛岡、群馬でJ3降格に関与(2021年の相模原ではシーズン途中に盛岡へ期限付き移籍)。それまでにJ2昇格も2度経験していたが、何かが心の中でプツリと切れた。
「自分の中では盛岡で2桁得点を取って、『ここから上がっていくぞ』と思っていた。そしてJ2から何個かオファーがあった中で群馬を選びました。でも、そこでまたJ3に降格して『どうしてまたこうなっちゃうんだ』と思いましたね。自分がもっと活躍していれば上に行けたんでしょうけど、なんだかサッカーを楽しめていなかった」
とにかく戦いの舞台から離れたかった。
昨季終了後はサッカーとは無縁の生活を送り、ボールを蹴らずに情報も遮断。「サッカーが本当にやりたいことなのかな」と、約1カ月間の自問自答を重ねた。
しかし答えは決まっていたのだろう。徐々に現役続行の意思が芽生え始めた。
「本当はサッカーを辞めるつもりはなかったんだと思います。サッカーから離れてみて、やっぱりまだまだできると思ったし、したい気持ちが湧いてきた。それにどんどん良くなってきている実感もあったんです。
ただ、自分の性格的にも無理やりサッカーをやらなきゃいけないと思っていたら、やる気が起きなかったと思うし、続けたいという気持ちもなくなっていたかもしれない。1回サッカーを辞めようかなと悩んだその1カ月の期間があったからこそ、またゼロからスタートしたいと思ったし、楽しみの方が大きかった」
現役続行の決意をしたとき、天才は27歳とキャリアの成熟期を迎えていた。さらなる成長と挑戦の舞台を模索する和田の頭には、幼いころからの憧れだった海外移籍が浮かんでいた。
「子どものときから思っていたのは、やっぱり海外でプレーしてみたいということ。それをずっとできずにいたので、去年の12月くらいからから体づくりを頑張りました。年齢もどんどんベテランに差しかかってくる中で、海外挑戦をするにはこのタイミングしかないと思った」と移籍先を探し始めた。
1月下旬までチームの決まらないもどかしい日々が続いたが、そんなときに代理人がとある話を持ってきた。
ハーツからのオファーだ。
「海外で探していましたが、なかなかオファーがなかった。Jリーグのクラブからは正式なオファーはなかったですし、こんなにチームが決まらないのは初めてだったので、だいぶ不安な気持ちではいましたが、最初に来た正式なオファーがアメリカだったので、もうここに決めようと思いました」
和田はハーツで働く日本人GKコーチの野村祐太氏とすぐさま連絡を取った。野村氏からはアメリカサッカーの盛り上がりやハーツの熱気を伝えられ、心の赴くままに即決で加入を決めた。