5位 ラモス瑠偉
正確度:△
20歳で読売クラブ(現東京ヴェルディ)でプレーするために来日したラモスは、「日本一有名な帰化選手」と言えるかもしれない。1989年に日本国籍を取得した背景には、当時の読売が抱えていた「外国人枠」の問題があったという。
中国メディアによる「Jリーグ創設時のメンバーの一人であり、引退後はユースの育成に専念し、数世代にわたる日本の選手に影響を与えた」といった説明は決して間違っていないが「日本初の帰化選手」という表現には大きな誤りがある。
ラモスは非日系選手としては日本初の帰化選手であると言えるが、日本サッカー界ではラモスの帰化以前よりネルソン吉村(日本代表史上初の帰化選手)や与那城ジョージといった選手らが代表チームで活躍を続けてきた。特に与那城はブラジル時代のラモスを日本にスカウトしたことでも知られている。
4位 セルジオ越後
正確度:×
日本ではクセの強い「解説者」として、ある意味知名度の高いセルジオ越後。現役時代はブラジルの名門コリンチャンスに所属していたほか、現在の湘南ベルマーレの前身でもある藤和不動産サッカー部でもプレーした。
記事では「帰化選手」として紹介されているセルジオ越後だが、日系ブラジル人2世ではあるものの、日本国籍の取得は行っていない。また、1995年に帰化し、翌96年のアジアカップに出場したと記載されているが、約20年前に既に引退している。