業績不振に陥っている日産自動車。経営再建の一手として、閉鎖が検討されている国内工場の一つが横須賀市の追浜(おっぱま)工場だ。
追浜工場は半世紀以上も日産の主力工場として稼働。また、工場の敷地内にある人工芝のグラウンドでは、横浜F・マリノスの中学年代チームの一つ「横浜F・マリノスジュニアユース追浜」が活動していることでも知られる。
名門アカデミーということもあり、このピッチからも多くの名選手が巣立っていった。今回はその中で「最高の5人」を紹介する。
石川直宏
1981年5月12日生まれ
2000年代のJリーグを代表するスピードスター、石川直宏。
横須賀市の出身で、横須賀シーガルスから横浜F・マリノスジュニアユース追浜へ加入し、2000年にトップチームへ昇格。世代別代表でもあったため期待されたが出場機会に恵まれず、直訴の末に2002年4月、FC東京へ期限付き移籍した。
この年就任した原博実監督のもと、新天地で水を得た魚のようなハイパフォーマンスを見せると、2003年8月、佐藤由紀彦とトレードのような形で完全移籍。以降、日本代表6キャップを記録しつつ、FC東京を象徴する選手になっていった。
J1で15ゴールを決めた2009シーズンには、まさにアンストッパブルな活躍を披露。しかし怪我もあって徐々に成績を下げ、2017年に現役を引退。現在はFC東京のコミュニティジェネレーターを務めている。
谷口博之
1985年6月27日生まれ
石川と同じ横須賀市出身の谷口博之。こちらは鴨居SCから横浜マリノスジュニアユース追浜、横浜F・マリノスユースで成長してプロ入り。ただ、トップ昇格の声はかからなかったため、2004年に当時J2の川崎フロンターレへ加入した。
元々は攻撃的な選手だったが、身長182cmで体の無理が利くタイプだったこともあり、プロではボランチとしてブレイク。プロ3年目の2003シーズンには、攻撃サッカーを武器にJ1の2位に入った川崎で13得点を挙げ、中村憲剛とともにクラブ初のJリーグベストイレブンに選出された。
世代別代表にも定着し、2008年の北京五輪に出場。ただ、反町康治監督のもとで本田圭佑や香川真司を押さえてトップ下で起用されたものの結果を残せず、チームもグループステージ3連敗に終わっている。
その後、2011年に横浜F・マリノスへ帰還し、柏レイソルを経て2019年にサガン鳥栖で引退。そのまま鳥栖でスカウトとなり、今季スカウトとして横浜F・マリノスに復帰した。