アル・ターマリが「唯一の欧州組になったワケ」
ヨルダンの首都アンマンで1997年に生を受けたアル・ターマリ。国の人気スポーツであるサッカーを愛して育ち、8歳か9歳のころからシャッバーブ・アル・オルドンという地元のクラブでプレーしたという。
母親は「勉強に集中してほしい」「ヨルダンにおいてサッカーで成功することは難しい」と要求していたものの、彼はそれに歯向かったという。リーグ・アンのインタビューにおいて「僕はサッカーが自分をどこまで連れて行ってくれるのか見てみたかった。19歳でトップチームに昇格することを決めた」と語っている。
デビューからまもなく代表に選ばれるほどの活躍を見せ、1年後にはアル・ジャジーラへと期限付き移籍。ヨルダンFAカップを制覇し、AFCチャンピオンズリーグに次ぐアジアのクラブ選手権である「AFCカップ」でも7試合で6ゴールを決める結果を残した。
それがアル・ターマリにヨーロッパへの挑戦権を与えることになった。
2018年の夏、AFCカップでの活躍を見たキプロスの名門APOELニコシアが彼に接触し、3年契約でアル・ターマリはヨーロッパへと渡る。
APOELニコシアはキプロスリーグの王者であり、アル・ターマリはUEFAチャンピオンズリーグやUEFAヨーロッパリーグも戦うことになった。アヤックスやセビージャとも対戦する機会に恵まれた。
その時のAPOELは多くの重要な選手を放出したことでチームの力は落ちていたが、アル・ターマリはそのおかげで出場機会を最初から獲得することができ、キプロスリーグの優勝に大きく貢献。シーズンのMVPも受賞することになった。
キプロスとはいえ、ヨーロッパの国の強豪でプレーして多くのスカウトの目に留まったことが、彼にとっては大きな転機になったのだ。そして2020年にはベルギーリーグのルーヴェンへと移籍し、3シーズンを過ごしたあとでフリートランスファーによりモンペリエへと加入した。
後に彼は「ヨーロッパのクラブはヨルダンリーグを見ないんだ。もし見ていたら、ヨルダンの選手をスカウトすると思うよ!」と語っている。
ただ、いまのところ彼に次ぐ欧州組は出ていない。「ルーヴェンは僕の同胞二人をトライアルに招待した。物事はうまく行ったが、管理上の問題で加入できなかった。APOELも別のヨルダン人選手を獲得したが、もう彼はヨーロッパにいないんだ」とアル・ターマリは語っており、まだ数人が挑戦に臨んだのみだと明かしていた。