31歳となったエースが迎えた転換期
クラブでも代表でも世界の第一線で戦ってきた宇佐美だが、31歳はプロサッカー選手にとって分岐点を迎える年齢だ。しかも、彼は昨年にアキレス腱断裂を伴っているため、困難を極めるのは当然だろう。
日本がW杯初出場を果たした1998年のフランス大会で直前にメンバー外を告げられた“キング”三浦知良(オリヴェイレンセ)も当時31歳。所属するヴェルディ川崎(当時)でポジションを固定されず、FWではなく中盤でプレーする時間も長く苦戦していた。
同様にヴィッセル神戸で守備面でも奔走したFW大久保嘉人氏が、その神戸から戦力外を突きつけられたのも31歳になる半年前だった。
1998年に左膝十字靭帯を断裂したイタリア代表FWアレッサンドロ・デル・ピエロ氏は、半年以上の長期離脱を経て翌季に復帰。しかし、当時25歳だった彼は1年間流れの中から1度もゴールを奪えずに終わったという例もある。
それでも彼らは30代で二桁ゴールを連発して復活。カズは56歳となった現在も現役を続け、大久保は川崎フロンターレに移籍して以降31歳から3年連続J1得点王に輝き、デル・ピエロも33歳でセリエA得点王を獲得。
チャンスメイクにも優れ、典型的なストライカータイプではない彼らだが、苦境を乗り越えて30代でも新境地を開いた。
Jリーグの歴史に残るカメルーン代表FWパトリック・エムボマによる180度回転リフティングボレーによる華麗なゴールを、「ゴール裏の最前列で見た」生粋のガンバサポーターである宇佐美。そのエムボマやアラウージョ、マグノ・アウベスなど、G大阪のエースは外国籍FWが歴任して来た印象が強い。
「今はエースと呼ばれるようなゴールの数を積み上げていきたい一心」と謙遜する宇佐美だが、自ら仕掛けてゴールが奪える本格派ストライカーの系譜に彼は連なる選手だ。
下部組織出身選手がエースを担うことは希少価値が高い。ドイツ時代も含めて彼のファンには子供が多いこともそれを裏付ける。
「チームとしても個人としても不甲斐ないシーズンにしてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。足を引っ張ってしまった想いもあります。
それでも応援してくれる、期待してくれるファン・サポーターの方々に、ここからまた伸びていく姿を見せ、喜びを与えられるようにガンバって行きたいと思います」
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最終節に迎えるのは、前節にクラブ史上初のJ1リーグ制覇を成し遂げた神戸。
宇佐美にとってはバイエルン移籍前のラストマッチや、2013年にドイツから復帰後の再デビュー戦でゴールを挙げて、「ここから再び黄金時代を築いていきたい」と宣言し、翌年に3冠達成を牽引するまでに繋がった相性の良い相手。宇佐美のゴールに期待したい!
【プロフィール】宇佐美貴史(うさみ たかし)
1992年5月6日生(31歳)
178cm69kg/ポジションFW・MF/京都府長岡京市出身
生後10カ月で自らオムツを脱いでボールを蹴り始めた逸話をもつ。長岡京SSSでサッカーを始め、中学からG大阪ジュニアユースに加入。ユースを経て、高校2年進級時にトップチーム昇格。2年目の2010年に定位置を掴み7ゴールを挙げ、『Jリーグベストヤングプレーヤー賞』を受賞。2011年夏にはドイツの強豪バイエルンへ期限付き移籍。ホッフェンハイムへの期限付き移籍を経て、2013年夏にJ2に降格していたG大阪に復帰。「J2で通用しないなら引退する」と不退転の決意で挑み、僅か18試合の出場ながら得点ランク2位の19得点を挙げてJ2優勝・J1昇格に導いた。翌2014年にはエースとしてJ1リーグとヤマザキナビスコ杯(現YBCルヴァン杯)、天皇杯の3冠獲得を牽引。2015年にはJ1でキャリアハイの19得点。2016年夏にドイツへ再挑戦し、アウクスブルクとデュセルドルフでプレー。2019年夏に再びG大阪に復帰して現在に至る。育成年代から各年代別代表のエースを担い、2015年3月にデビューしたフル代表では、これまで27試合出場3ゴール。