7位 フランツ・ベッケンバウアー

多くの偉大な選手と同じように、彼も複数のポジションでプレーすることに優れていた。

元々はセンターフォワードだったが、左ウイングとしてバイエルンでデビュー。最初のシーズンでバイエルンは創設されたばかりのブンデスリーガへの昇格を勝ちとる。ユース上がりの彼が開花するにつれて、バイエルンは徐々に西ドイツサッカー界で支配的な存在になっていった。

そんな彼に「カイザー(皇帝)」の称号が与えられた経緯については2つの説がある。

1968年に元オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの胸像の横でポーズをとり、その後、メディアが彼をサッカー界のカイザーと呼んだためというもの。

あるいは、1969年のドイツカップ決勝で“ヴェストファーレンの王”として知られたシャルケのラインハルト・リブダにファウルしたことで、メディアがベッケンバウアーの勝ちを確信したというもの。

いずれにせよ、この高貴な呼び名はまさにふさわしいものだった。

バイエルンでは1971~1974にブンデス3連覇達成し、1973~1976にかけてヨーロピアンカップでも3連覇を達成。代表では西ドイツ代表のキャプテンとして、1972年の欧州選手権(EURO)と1974年のW杯で優勝を成し遂げた。

バイエルンと同様に彼も誰からも愛されたわけではなく、ブンデスリーガのアウェイゲームで自分たちに向けられた攻撃性にショックを受けることも多かったと明かしている。

18歳の時には妊娠中の恋人との結婚を拒否して、西ドイツのユース代表から追放されたことも。物議を醸したが、1977年にニューヨーク・コスモスへ移籍した後は代表に選ばれなくなった。

カイザーは1980年代初頭にブンデスリーガに戻ってくると、ハンブルクをリーグ優勝に導いた。当然だ。彼は生まれながらの勝者だった。