――当時、鳥栖の岸野靖之監督の存在が大きかったですか。

そうですね。本当に正面から自分を受け止めてくれました。喧嘩も多かったですけど、その度にしっかりどうしてほしいか、何してほしいか、一人の選手として大切なことをまた新たにいろいろ学びました。

すごく信頼されているのを感じましたし、試合にたくさん使ってもらって、結果も生まれてきて、自分の中に自信が芽生えました。

自分のキャリアが前に進んだというか、止まっているところからまた、進み始めたのが鳥栖でしたね。

その後、またマリノスに帰るというオプションもあったんですけど、一回後ろ盾がないところで頑張りたいと思い、ヴァンフォーレ甲府に移籍しました。

またJ2ですけど、個人的にはまずJ2を支配しようと。まずJ2で一番になる。

甲府を選んで、そこでしっかりと結果を残せて、チームもJ1に上がれて。その下積みは個人的には本当に正解だったかなと思います。

――そこから海外移籍で、2011-12シーズンの冬にフィテッセへの移籍を決断されました。なぜフィテッセを選んだのですか。

当時、ブンデスリーガも(選択肢として)あったんですけど、まだ個人的には上すぎるかなと。行っても試合出られるのかなという感じだったので。

自分の母国に住んだことがなかったので、まずはオランダリーグでしっかり結果を残してから、上のリーグでトライしようと思って、オランダ行きを決断しました。