FW:福田正博

1988年度卒

「ドーハの悲劇」により中央大学出身初のワールドカップ出場を惜しくも逃したストライカー(※2010年の中村憲剛が初出場)。

1989年に加入した三菱重工(※のちに三菱自動車へ移管)で日本代表入り。1992年にはハンス・オフト監督のもとダイナスティカップやアジアカップでの優勝に大きく貢献した。

所属の浦和レッズでも1995年にJリーグ得点王を獲得。引退後は指導者となったが近年は主に解説者として活躍している。