「よっちゃん出るの?」

――そういった中で見事に勝利を手にし、引退セレモニーには楢崎選手が登場しました。

本当にサプライズでした。実は試合の2日くらい前に電話をした時、「よっちゃん出るの?」と聞かれたんです。「もしかしたら出るかもしれないけど、まだ分からない」というやり取りをして、その時は何でそんなことを聞くのかなと思ったんですが、こういうことだったんだなというのがセレモニーの時に分かりました。

やっぱり自分にとってライバルであり、特別な選手なので、彼がセレモニーに来てくれて、しかも記念Tシャツまで着てくれて(笑)。そこまでして僕のラストマッチに来てくれたというのは感慨深かったですね。嬉しかったです。一番来てほしい選手に来てもらえました。

彼とは二人とも年齢を重ねていくごとに、お互いが存在をリスペクトする良い関係になっていきました。もちろん出会った頃からそういった気持ちはあったんですが、若い頃は「自分が出たい」という気持ちがとにかく先に来るので、その表現がうまくできずコミュニケーションがうまく取れていなかった時期もありました。

ただ、年齢を重ねると、お互いの気持ちが分かってくるじゃないですか。日本代表の正ゴールキーパーを目指す、奪う・奪われるということを繰り返して、二人にしか分からない気持ちというのがあった上で少しずつお互いを理解し、リスペクトし合う関係になっていたんですよね。日本代表にお互いが選ばれなくなった後もJリーグの舞台で戦うといったことを繰り返し、この歳になってもともに現役を続けていた。

そういう関係性にある二人が、あの場で、あのような形のセレモニーをしてもらえたというのは、僕と正剛の関係がお互いしっかりリスペクトし合っているということを分かってもらえた特別な瞬間でしたね。多くのサッカーファンの方々が僕と正剛の関係を気にされていたと思いますし。

――思い出すと、私も涙が出てきます…。楢崎選手との間で一番印象に残っていることは何ですか?

日本代表に選ばれていた終盤の頃、中澤佑二も交え「散歩隊」でよく一緒に散歩へ行ったりとか、若い時には僕と正剛がうまく溶け込めるよう先輩たちが、特に中山(雅史)さんが「二人、大丈夫?」といった感じでよくセットでいじられていたんです。

僕ら二人は常に一緒にトレーニングをして、お互い代表でプレーし、ミスあるいは大量失点した際はすぐに入れ替わるという危機感の中で切磋琢磨していましたから、そのこと自体が思い出ですね。