海外移籍、日本代表よりも貴重な経験

常勝軍団を支え続けた日本屈指のレフティに、海外からの食指は当然伸びていた。遠藤さんに海外移籍の話を問いかけると、開口一番に「(海外移籍を考えたことは)ありますよ。もちろん(海外挑戦を)したいなって、個人の目標でした」とつぶやいた。

実際にロシア、ドイツのクラブから興味を抱かれていたという。オファーも届いていたが、海外移籍よりも大事にしていた目標を優先した。

「でもその当時は移籍したかったけど、まだ自分の力で優勝していなかったので、『(海外へは)行かないです。優勝してからにします』と(代理人に)伝えました。ウッチーがそういう行き方をしていました。(J1)3連覇してからシャルケに行って、『かっこいいな』と思っていたので移籍するなら、そういうことだよなって」

鹿島で活躍してドイツの名門シャルケへ移籍した内田さん

Jリーグ屈指の名選手だった遠藤さんに、その後海外クラブからのオファーは届かなかった。目指していた日本代表選出も2015年にトレーニングキャンプに招集され、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督から評価されるも、出場できなかった。

「自分のポジションにいい選手が当時はたくさんいたので、(出場に)至らなかったのは自分の実力不足だと思います」と振り返った。

海外移籍、日本代表の夢は果たせなかったが、遠藤さんは後悔を抱いていない。それ以上の経験を鹿島で得たと胸を張る。

「結果的に海外へ移籍しなくて良かったと思いますけどね。 鹿島でしか得られない経験というか、クラブワールドカップ出場、ACL優勝…、鹿島にいなかったら絶対できないことですから。ワールドカップには出られませんでしたけど、鹿島にいたからこそ、鹿島のチームメイトとクラブワールドカップに行けたことは誇りですね」とさわやかな笑みを浮かべた。

当時を振り返る遠藤さん

クラブワールドカップ決勝にたどり着いたJリーグクラブは鹿島以外に存在しない。

世界的強豪のレアル・マドリー(スペイン1部)と公式戦での真剣勝負に「すごく楽しかったし、すごく悔しかったですね。あの当時はチームも完成されていたし、あのメンバーだったら、代表にも勝てるんじゃないかなというぐらい、みんなも自信を持ってやっていた時期でした。

そういう意味では、レアルであろうと、本当に勝つつもりでいたし、勝てると思ってやっていたからこそ、すごく悔しかったですね。日本開催だったからこそ、優勝したかったですね」と振り返った。