「サッカーを続けられたらベスト」

2021年の夏、大学4年となった田中は京都大大学院を受験した。

「当時はまだサッカーを続けるかどうかを悩んでいたので、一応受けました。内部生でもあったので、合格はいただいて、その後どうしていくかを考える時間的猶予をもらいました」

当時は「サッカーを続けられたらベスト」と考えていた田中。しかし、Jリーグクラブからのオファーはなく、一時は合格した大学院への進学や一般企業への就職も考えていたという。

福島の背番号41は、「サッカーを続けられなかったとしても、サッカーと栄養とか、スポーツにアカデミックな観点から関われるような仕事をしたいと思っていました。特に食にはとても興味があったので、就職するなら味の素さんに行けたらいいなと、ふんわり思っていました」と明かした。

それでも田中は、サッカー選手になる夢を諦めなかった。同年の秋ごろ、おこしやす京都が開催した合同セレクションに参加。このセレクションには地域リーグのほか、JFL、Jリーグのチームのスカウトも集まっていた。

チーム練習中の田中

セレクションに参加したGKは、チャンスをつかもうと奮闘した。

すると、おこしやす京都の添田隆司代表取締役社長の目に止まった。おこしやす京都は関西1部に所属しながら同年の天皇杯で、J1サンフレッチェ広島を破ってジャイアントキリングを起こしたクラブだ。

田中は添田代表から声をかけられた当時を振り返り、「まさかそんなチームから声がかかるとは思っていなかったので、興味を持っていただいてありがたいと思いました」と詳述した。

添田代表は、日本最高の名門国立大学である東京大を卒業後、当時J3・藤枝MYFCでプレーした元Jリーガーだ。同代表も安定を捨ててプロサッカー選手の道に挑戦した過去があり、京都大からサッカー選手を目指す田中にとって、ロールモデルとなる存在だった。

チーム練習で汗を流す田中

2022年におこしやす京都に社員プレーヤーとして入団したGKは、スポーツX株式会社の社員として地域の企業を訪問してスポーツの魅力を伝えながら、週末のリーグ戦を戦う日々を送った。

田中は「最初に入ったときは、(レベルが)かなり高いと思いました。元プロ選手がたくさんいたので、『この中でやっていけるのか』と思いましたが、徐々に慣れていく部分はありました。その中でまだまだ自分にも伸びしろがあるからこそ、時間がかかったとしても、頑張ろうと思っていました」と入団当初を振り返った。

シュート練習でボールをキャッチする田中

2024年には、同じスポーツXが運営しているみちのく仙台へ移籍した。いままで関西から出て生活をした経験がなかった田中は「最初は『どうなるんだろう』と不安もありました」と明かしたが、「(関西を)出てみて意外とすぐに環境にも慣れました。また違う気候もそうですし、食文化など、日本の地域の違いの良さを感じながら生活できました」と、新たな環境をたのしんだ。

みちのく仙台では、J2ブラウブリッツ秋田から期限付き移籍したMF鈴木陽成(ひなせ)とともにプレー。当時Jリーガーを目指していた田中は「みちのく(仙台)にJリーグの選手が来るというのは、チームとしてすごく刺激になりました」と、より一層サッカーに情熱を注いだ。