北澤豪
昭和43年生まれ(56歳)
加入寸前だったクラブ:スポルティング・リスボン(ポルトガル)
ヴェルディ黄金期のレジェンドであり、Jリーグの爆発的な人気を牽引したダイナモMF。
J開幕の1993年から花形選手として脚光を浴びたが、同年、日本代表として“ドーハの悲劇”も経験。選手たちはもう一段階上を目指す必要性を痛感し、その先陣を切ってエースの三浦知良がセリエAのジェノアへ移籍した。
北澤にも1995年頃、ポルトガル3強の一角スポルティングへの移籍話があったそう。自身によれば「メディカルチェックの一歩手前ぐらいまで話は進んだ」という。
ただ、ヴェルディから「まずJリーグを成功させてほしい」と言われ断念することに。自身は「行きたかったですよ」と振り返っている。
廣長優志
昭和50年生まれ(49歳)
加入寸前だったクラブ:VfBシュトゥットガルト(ドイツ)
廣長優志は、桐蔭学園から1994年にヴェルディ川崎へ加入。黄金期にあったチームで初年度から存在感を示し、U-23日本代表としてアトランタ五輪の予選突破にも貢献した。
そんな彼は182cmでありながら中盤、センターバックなど複数のポジションをこなすスケールの大きな選手だった。
高3の頃にはドイツで開催された国際大会で優勝し、得点王とMVPを獲得。同大会に出場していたシュトゥットガルトから獲得オファーを受けている。
自身によれば「うっすら(とした記憶)だけど、年俸2,000万円だった」とのこと。しかし当時学生の進路は恩師である先生が決める時代で、高校の李国秀監督からヴェルディに決まったことを伝えられたという。
その後五輪には出場したものの、キャリアとしてはやや伸び悩んでしまった廣長。「ドイツに行きたかった。“ちょっと俺は違う”というのを見せたかった」と悔やんでいる。