永島昭浩
昭和39年生まれ(60歳)
加入寸前だったクラブ:PSVアイントホーフェン(オランダ)
Jリーグ黎明期のスター選手で、後に“ミスター神戸”とも呼ばれた永島昭浩。端正な顔立ちで人気があり、娘である永島優美さんはフジテレビアナウンサーとして活躍している。
彼は地元の御影工業高を卒業後、松下電器サッカー部(現ガンバ大阪)に加入。25歳になった1989年の夏、1か月にわたってオランダ3強の一角であるPSVの練習に参加した。
これは松下電器(現パナソニック)とPSVの親会社であるフィリップス社が技術提携を結んでおり、深い関係にあったことによるもの。
当時のPSVはリーグ4連覇中で、1987-88シーズンには欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を制していた超ビッグクラブ。チームには多くのオランダ代表やブラジル代表FWロマーリオも在籍していた。
永島はセカンドチームでプレーしたが、「毎日が品評会」という環境だったそう。そんな中でハーレムカップという大会で出場機会を得ると、準決勝で1ゴール、決勝で2ゴールを決めて優勝したのだという。
その結果、正式加入まで近づいた。決まっていれば望月達也氏に次いでオランダ2人目、堂安律より前にPSVでプレーする日本人選手となっていた。
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しかし慣れない異国の環境は、知らず知らずのうちに体へ大きな負担を与えていた。
鼠径ヘルニアを患った永島は練習を続けられなくなり、そのまま帰国することに。あと一歩のところでヨーロッパでのプレーは叶わなかった。