プロとの差に無力さを痛感
世代別代表の常連となり、この世代で注目を受ける存在だった山内だったが、トップチーム昇格を逃してしまった。当時は同じポジションにMF山口蛍を筆頭にスペイン人MFセルジ・サンペールなど名手がそろっていた。プロの分厚い壁にはじき返されたが、ただでは転ばない。世界的な名手たちの姿勢、振る舞いを見て新たな学びを得た。
――トップチームへの昇格を逃しました。チームから伝えられた時期はいつでしたか。
日付までよく覚えてないんですけど、はっきり覚えているのが高3のクラブユースの(夏季)全国大会に出発する前の日に言われた記憶があります。
――そのときの心境はいかがでしたか。
中学からヴィッセル神戸というチームを身近に感じていましたので、そこに上がりたいという中でユースもやっていたから悔しい思いが1番強かったです。2、3年と、ユースでトップの練習に参加させていただく機会が多かった。当時は高2のときにアンドレス・イニエスタ選手が来て、高2の冬にはダビド・ビジャ選手、山口蛍選手、西大伍選手、高3の夏にはトーマス・フェルマーレン選手、酒井高徳選手が来ました。神戸の入れ替わりが激しい、来る選手のレベルが上がった時代でしたね。
練習をやっている中で上がりたい気持ちはもちろんありましたけど、自分が上がれる力があるかといったらそうではなかったので…。それは練習に行ったら自分のレベルの低さというか、自分の力の無さをすごく感じていたからです。
上がりたいと思っていましたけど、上がってすぐに活躍できたかと言ったら絶対そうではなかったと思う。悔しい思いが1番強いというのはありますけど、その反面納得というか、いま考えれば「それはそうでしょう」と思うときもありました。
――すごい選手ばかりですよね。彼らからどのような刺激を受けましたか。
ユースとプロはまったく違うなと…。それは選手どうこうじゃなくて、プロはまったく別物だとユースのときに思いました。もうなにもかも違うし、スピード感や周りの環境がまず違います。スタッフの数、練習にかける準備と、1日にかけるトレーニングも。
そのときの監督もリージョさんやフィンクさんと初めての外国人の監督でした。自分は日本人の監督が当たり前の中でやっていたので、プロという世界は本当に別物だというのが始めの印象です。