同期小田の存在、スペイン改革
山内の同期には高校3年でトップチーム昇格を決めた小田裕太郎がいた。今年1月にスコットランド1部ハーツへと完全移籍した自分の前を進む同期の活躍は、負けず嫌いの山内にとって大きな刺激になっている。
――同期の小田選手がトップチームに昇格して、現在はヨーロッパで活躍されています。山内選手にとって彼はどのような存在ですか。
入学当初から自分と小田選手がAチームでした。ほとんどAチームで帯同していて、ずっと一緒に試合に出ていましたね。
語弊はあるかもしれませんけど、そんなに仲良くないというか(苦笑)、ユースのときはめっちゃ仲良く喋っていたというわけではないです。僕は早生まれの代表(1個下の世代の代表)に入っていましたけど、彼は(早生まれで1個前の世代別代表に入っていた)僕より1個上の“自分の代”の代表に入っていた。
代表に選ばれている彼は本当に刺激になっていました。ポジションは違いますけど、一緒に2種登録もして、当時のナビスコカップ(JリーグYBCルヴァンカップ)も一緒にベンチに入りました。自分は出られなかったですけど、彼はその試合に出ました。試合は負けましたけど、そのプレーが評価されてトップに上がったと思うので。
悔しい気持ちはもちろんありましたけど、いまもスコットランドで活躍していてすごいと思うし、負けられないと思っています。
――高2のときにスペイン人指導者ベナイジェスさんが来られましたけど、チームの環境は変わったりしましたか。
当時は分からなかったですけど、そういう新たな部署ができて、アカデミーはかなり変わりましたね。サッカーをより細かくというか、アカデミーがユースからジュニアまで(ベナイジェスさんが)来てから統一されたなと。アカデミー自体もすごく変わった印象があります。
――選手視点で変わったと思った部分はありましたか。
もともと野田監督が後ろからボールを大事にというか、そういう意味ではちょっとスペイン代表に近いサッカーをしていました。僕たちはそんなに変わらなかったですけど、練習もちょっと筑波とも似ているというか、練習時間がすごく短い。
短い中で100%を出すことや、自主練とかもそうですね。彼らが来る前は最後の最後まで自主練とかめっちゃ遅くまでできましたけど、(ベナイジェスさんが来てから)「早く帰れ」と言われて、当時はいろいろとストレスもありました(苦笑)。
こっち(筑波)に来てから(振り返ると)、そういう効率やケガのリスクを考えてやってもらっていたんだとすごく感じています。