大学時代は三笘を研究、それはいまも生きている

びわこ成蹊スポーツ大時代は日本代表MF三笘薫のドリブルを研究していたという泉。アカデミー時代から憧れの存在で、そのドリブルを自分のものにしようと研さんを重ねてきた。時折見せる反発ステップからの流れるようなドリブルで相手を翻ろうする山形の背番号28は、さらなる進化を遂げようとしている。

――神戸はJ1優勝争いをしていますけど、神戸から刺激を受けていますか。

もちろん全試合見ていますし、神戸にいる選手たちからも連絡をもらったりもします。気にかけてくれているんだなと思います。

僕も、もともとは神戸の一員でチームと、みんなと戦ってきたというのもあります。そこは刺激をもらえますし、なにより優勝してほしいという気持ちが強いですね。

――山形サポーターの印象を教えてください。

神戸のときはあまりサポーターと関わる機会が多くありませんでした。公開練習も月に1、2回でした。それと比べて山形は1週間の間に2、3回公開練習があって、試合後にもファンサービスをできる環境があります。

自分のプレーに対して沸いてくれたりとか、僕のファンとしてドリブルに、僕のプレーに興味を持ってくれる人たちもいて、「山形に残ってほしい」と言われたりと、直接サポーターと関わる機会が多いので嬉しい部分もあります。

ファン、サポーターの方々が大事だと思うので、そういう関わりは僕的には嬉しいです。 ドリブルしたときにスタジアムが沸く感じはいまでもはっきりと覚えています。山形はいい環境、いい雰囲気だと思います。スタジアム含め、サポーターと距離が近いのでいいと思います。

――山形の生活は初めてですか。

山形は初めてですし、東北が初めてです。

――山形に来て驚いたエピソードはありますか。

車を運転していると、モンテディオ山形のエンブレムのリボンが付いている車をよく見かけます。それで僕の車が県外ナンバーということもあって結構バレることが多いです(苦笑)。

それで手を叩いてくれたりとか、そういうことにも驚きました。

あと、なによりご飯が美味しいです。果物も美味しくて、友人や家族に果物を送りました(笑)。

――大学サッカーでやり続けてきた努力は、山形で生きていますか。

大学に入学する前はそこまでドリブラーじゃなかったんですよ。中央寄りのポジションで、ドリブルするタイプではなかった。パスを出す、ザ・トップ下というようなプレーをやっていたんですけど、大学に入ってからドリブルに目覚めたというか。

ドリブルの魅力を感じて、自分なりにドリブルにこだわってプレーしてきました。そこは山形でも生かされていると思いますし、プロになれたのもこの大学の経験があってからだと思います。大学時代がないと(プロ入りは)無理だったかなと思います。

――大学時代に日本代表MF三笘選手のドリブルを卒業論文などで研究したと聞きました。その研究は生かされていますか。

もちろん生きています。僕は高校のときから三笘選手大好きでした。三笘選手が筑波大2年生のとき、ベガルタ仙台相手に天皇杯でぶち抜いて点を取ったときがありました。そのときぐらいから好きだったので。

ずっと見ていますし、その分析をして、自分なりに寄せるところと「ここは違うな」という部分が勉強にもなりますし、自分のドリブルにも生きているのかなと思います。

三笘薫

――山形でプレーして、その部分はさらにブラッシュアップできていますか。

左サイドでプレーする環境を与えられているので、できていると思います。いまはあまり試合に絡めてないですけど、トレーニングでも左サイドでプレーしていますし、監督とも「ボールを持ったときにはしっかり勝負してほしい」と言われています。そこは山形だからこそできていることなのかなと思います。

――今後のキャリアビジョン、展望を教えてください。

これからどうなるか分からないですけど、もちろんステップアップするために山形に来たのもありますし、山形を昇格させるために来たというのもあります。自分的にはもっと、もっと上のレベルに行って、J1でいずれ活躍する選手になって、日本代表に招集されたりとか、海外に行けたりとか、そういういろんな展望はあります。

でもいまはそんな余裕があまりないです。まずは一つ、一ついまJ2で戦って、結果を残してJ1にいく段階を踏むことしか考えられないというか。

目標を立てることは好きなんですけど、いまの状況だと先を見過ぎるのも難しいです。なので、一つずつかなと思います。でもいずれ海外に行ってプレミアリーグとか、三笘選手のようにという目標はあります。