ゴトビのチームで初めての10番に

日体大卒業後に、渡米した間瀬監督。キャリア初のクラブには指導者を始めたばかりのアフシン・ゴトビ監督がいた。

後にアヤックスで技術コンサルタントを務め、韓国代表ではコーチに就任し、フース・ヒディング監督の右腕として2002年ワールドカップ4強入りに貢献。

間瀬監督は、イラン代表や清水エスパルス監督を歴任した名将の指導を受けた。

――卒業後はSFVゴールデン・イーグルス(後のロサンゼルス・ヒーローズ、2002年に解散)に所属されました。

その年(1997年)はアメリカ1部のプロリーグ、メジャーリーグサッカーができたばかりの年だったんですよ。

僕はまず語学留学という形で、アメリカに渡って英語を勉強しました。ある程度喋られるようになって、自分でアメリカのサッカー協会に電話をかけて売り込みをしました。

でも「メジャーリーグサッカーの外国人枠は全部埋まっている」という話だったんですよ。その下のリーグのチームテストを受けたんです。

それがゴールデン・イーグルスでした。そこの監督がアフシン・ゴトビさんというイラン系アメリカ人だったんです。彼がプロキャリアで初めて監督に就任したチームがゴールデン・イーグルスでした。

――アフシン・ゴドビさんの下でプレーしていたことは知りませんでした。

彼が初めて監督やったときの10番が僕です(笑)。面白いでしょ?(笑)

――面白すぎます(笑)。名将ゴトビとそんな繋がりがあったとは…!

僕はそこで半年くらいしかプレーしてないんですけど、10番としてトップ下やシャドーでプレーしました。

後にゴドビさんは韓国の水原三星で分析コーチをしていたんですけど、そのとき僕はオシムさんの通訳でした。オシムさんがジェフに来て韓国のナムエでキャンプをやったときに、僕とオシムさんはチームに合流したんですよ。

キャンプ先のホテルのエレベーターで偶然ゴトビさんと出くわして「えええええ!!?」とビックリして(笑)。