──ドイツに渡る際、お兄さんの高徳さんやドイツ人のお母様からアドバイスはありましたか。
自己主張しないと基本的に自分の意見が通らないので、どんどん話して自分の意見を伝えていました。言葉が喋れない最初は、何とかコミュニケーションを取ろうとした結果チームに溶け込めた。そういった意味で生活に苦がなかったのかなって思います。
──その後、酒井さんは2022年に引退するまでドイツでプレーされました。日本とドイツで環境面に違いはありましたか。
やっぱり日本のチームの方が物も多いし、施設とか環境もすごく素晴らしいものが整っているなという感覚はありました。
──ドイツはサッカー強豪国ですし、ドイツの方が施設など整っているイメージがありますが。
(日本は)物があふれているので、サプリメントのようなすごく細かいものからすごく徹底されている感じはあるんですけど。ドイツはちょっと自己責任だとか、選手個人の考えが尊重されるのかなっていう感覚はありました。スタジアムの広さとか、規模はやっぱり日本とは比べ物にならないぐらいすごいですね。
──引退時は26歳でした。当時、日本に戻って選手キャリアを続ける選択肢も有り得たと思います。なぜ引退という決断に至ったのでしょうか。
もともと新しいものを始めたり、新しい世界に飛び込むことが好きな性格なので。ちょうどドイツに行って6年経って節目というか。気分的にどうしようかなというのが頭をよぎるタイミングになってきた中で、うちの兄ちゃんに相談したり、周りに相談していて。たまたまこのカフェをやろうという話に行き着いたので。それだったらもうきっぱりと諦めてというか。引退して違う世界に進もうかなと思いました。ドイツで過ごした最後の1年が結果とか含めてよく回っていい1年だったので、すごく気持ちよく辞められたかなというのがありますね。