井原正巳

1989年度卒

筑波大学時代に日本代表へ招集され、すぐさま主力として定着。現役時代は「アジアの壁」の異名を取った。

日本が悲願の初出場を果たした1998年のフランスワールドカップでキャプテンを務め、全試合にフル出場。クラブでは日産自動車から横浜マリノス、横浜F・マリノス、晩年にはジュビロ磐田と浦和レッズでもプレーしている。

指導者としては主に柏レイソルでキャリアを積んでおり、2022シーズンもネルシーニョ監督が負傷離脱した際に1ヶ月ほど代行監督を務めた。