長谷川健太

1987年度卒

高校時代、大榎克己、堀池巧とともに「清水東三羽烏」と称されたアタッカー。

筑波大学から日産自動車へ加入し主力として活躍。Jリーグ創設とともに地元の清水エスパルスへ移ると、日本代表で1993年に「ドーハの悲劇」を経験した(※写真の後列右から3人目)。

引退後は指導者として活躍。清水エスパルス、ガンバ大阪、FC東京でいずれもタイトルを獲得し、2022年から名古屋グランパスで指揮を執っている。