やるしかなかったスタジアム建設の“使命”
宮崎伸周プロデューサー(以下宮崎):コンサルタントとして見てきたものと、中に入ってからの視点・ビジョンは変わりましたか?
中島:コンサルタントとは“第三者の視点”を活かして、クライアントの課題解決を支援する仕事です。一方で、オールリスクを自ら背負ってはいないという事実もあると思っていて。
当時私が感じていたジレンマは、それだけでは一番人生の面白い部分を感じられないのではないか、という事でした。第三者の次は”当事者”として、先の見えない世界にリスクを覚悟で飛び込んでいく。そのゾクゾク感・ワクワク感みたいなものをみんなと一緒に味わいたいと思い始めていました。
具体的にこれをやりたいという余裕は正直ありませんでした。
転職したのは2016年12月、岡田さんが今治に来て2年目の終わりですかね。ここにはまだ何もなかった。オフィススタッフも7、8人くらい、バックグラウンドもみんなばらばらでした。
なので「したい」というより、これをやらないとまずいということが次々とあって、その最たる例が、2017年9月にオープンしたこの「ありがとうサービス. 夢スタジアム®︎」の建設でした。
転職してきた2016年12月は、FC今治が四国リーグからJFLに昇格する事がちょうど決まった時期でした。
その時、夢スタの建設予定地ははまだ山でした。中心市街地から少し離れた場所にあるただの山を見せられて、ここに2017年9月までにスタジアムを建てます、建てないといけない、そして満員にしますと説明されました。
JFLでの戦いの準備をしつつ、将来J3へ上がるためには、スタジアムが必要でした。しかし、今治にはその場所がありませんでした。
じゃあJFLでは全試合を今治市の外でやるのか…つまりホームタウンで1試合もやらないままJ3を目指すのかというと、それは「ない選択肢」でした。
従って、松山市をはじめ、隣の西条市やもっと向こうの四国中央市、そして広島県と、2017年のJFLでの年間ホームゲーム15試合のうち10試合を今治以外で開催し、その間に夢スタを竣工させる。そして残りのシーズン終盤の5試合を夢スタで戦う、という選択肢を取りました。
なので、J3基準を満たす形で2017年9月までに夢スタを竣工させることが、当時の私が背負った仕事でした。
怖かったですよ。とにかくシーズン中の2017年9月にオープンさせて、満員にして、できたらそのままJFLを抜け切りたい。というのが当時、一番覚えている目の前の仕事でした。
宮崎:Jリーグは地元密着を掲げていますから、ホームで試合を見ていただくのは大事ですよね。
中島:夢スタが竣工するまでの10試合、毎回バスツアーとか自家用車とかでお客さんが今治から見に来てくれていました。本当に感動しました。しかし、より多くの人に応援してもらえるようなクラブにならないといけないというのは、みんなどこかで感じていたと思います。
夢スタの竣工をきっかけに、このバスツアーとか自家用車で来てくれている1,000~2,000人をなんとか5,000人にもっていけないかと。
ホームタウンにこの夢スタが、今治で初めて天然芝のスタジアムができる。そこは「一生残り続ける場所」なんだと。
夢スタがオープンし、今までサッカーに興味なかった人にも来てもらう。2週間に一度のホームゲームが「祭りの場」になって、ここを基点に今治が少しずつ盛り上がっていくという絵をみんなで描いていたというのはありました。
そのために、もちろん地元に根差さないといけないというのはみんな痛感していました。