━━激動の二か月でしたね。

今、振り返ってみても、その二か月は本当にきつかったと思います。

もちろん、結果的にインドネシアでプレーする機会を得られたので、ラッキーな面もありました。あのマイケル・エッシェンらスタープレーヤー達とも同じピッチに立てましたからね。

━━インドネシアではぺルセラ・ラモンガンに加入しましたが、この国のサッカーはどうでしたか?

大きなスタジアムも多かったですし、あの観客の熱狂ぶりも予想以上でしたね。

僕のクラブのスタジアムはそこまで大きくはありませんでしたが、毎試合のように一万五千人がフルに入っていましたから。

Jリーグだと熱狂的なサポーターはゴール裏で、他の席は静かに見ている人も多いですが、インドネシアは全員が熱狂的なんですよ。

あの雰囲気は独特だと思います。練習試合なんかにも一万人ぐらいが見に来て、試合が終わった途端になだれ込んできます(笑)

それを知っているチームメイトは一目散に引き上げるんですが、僕は全然聞かされてなかったので、「ユニフォームをくれ!」とせがんでくる集団にすぐに囲まれました(笑)

━━サッカーのスタイルはどうでしたか?

本番になると火がついて、ハードに戦う選手が多かったですね。それが好まれる文化なのかなと。

僕自身はその雰囲気が好きでしたし、サポーターからもこのプレースタイルは好かれていたのかなと思います。

━━東南アジアでプレーした選手は意外とそのギャップに驚くようですね。「ここまで荒いリーグだと思わなかった」という。

ですね。本当に危ないプレーも多いんです。毎年のようにスタジアムにも救急車が入ってきます。

━━事故で言うと、サポーターの事故も多い国だと聞きます。

試合後の帰り道にサポーターがバイク事故なども多かったですね。

大型トラックに何十人も乗ってスタジアムに来たりするんですよ。その荷台から落ちての事故なんかもInstagramでしょっちゅう目にしました。

サッカー絡みでここまで死亡事故が発生する国はないんじゃないでしょうか。

━━話を戻して、先ほどのエッシェンの名前が出たように、当時のインドネシアリーグは、カールトン・コール、ディディエ・ゾコラ、モハメド・シソコ、ピーター・オデムウィンギーなど「元スター」が多く集まってきた時期でした。彼らとのプレーはどうでしたか?

有名な選手もちらほらいたんですが、意外と苦戦している選手が多かったですね。

エッシェンなんかもボールの出しどころに困って、周りに「動け!」と強く指示したり、周囲と合わせることに苦戦していた印象でした。

自分のクラブにも、元インテルユースでポルトにも所属した選手が在籍していましたが、彼は試合に出られないことすらありましたよ(笑)


第五弾に続く。

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