━━それで、ラオスのランサーン・ユナイテッドに復帰したわけですね。

前にもお話したようにオーナーの方からすごく良くしてもらっていたことが大きかったですね。

前回にチームを離れる時も「さらに良い条件で考えるからチームに残って欲しい」とも言ってもらっていて、バーレーンでプレーしている時も「そろそろこっちに戻ってこないか」と何度も連絡がありました(笑)

そこまで言ってくれるオーナーなんてなかなかいないですし、ブラジルで悩んでいた僕を拾ってくれたチームでしたから、復帰を決めました。

まぁ、その後にチームがなくなったんですけど(笑)

━━チーム自体がですか!?

そうなんですよ…。

僕が復帰した後はすごくチームの調子が良くて、国内リーグを優勝。タイのブリーラム・ユナイテッドに負けたものの、メコンカップでも決勝まで進んだんです。

その大会終了後のオフには帰国して、「子供も生まれたことだし、このタイミングしかないな」と結婚式を挙げたんですが、その翌日に事件が突然起こりました。

Facebookで「チームが解散」という話を聞いたんです(笑)

「次のシーズンからは家族三人でラオスに戻って…」と式の中でも発表していたのに(笑)

━━それは急転直下の出来事でしたね。

真相はよくわからないままですが、財政的な問題よりもオーナーの意向かなと思います。

次のシーズンにはAFCカップの出場も決まっていて、グループリーグの日程も発表されていたのですが、そこで「スタジアム問題」が発生したんです。

オーナーはその大会に自分のスタジアムで参加したかったんですが、「基準を満たしていない」とのことで断られたんです。それがけっこう気になっている感じがありました。協会のトップがオーナーのライバルクラブの人間だったので、そことの軋轢もあったんだと思いますが…。

ちなみに、結婚式の前日ぐらいにオーナーがチームのグループページみたいなところに新シーズンの予定のようなものを発表していて、そこには「まだ協会と話し合っている点がある」という怪しい部分もあったんですけどね。

「これはやばい、あのオーナーのことだからリーグ戦は出ないとか言い出すかも…」という危機感は多少ありました(笑)

━━でも、それを上回る展開が待っていた(笑)

さすがに「チームが解散」までは予想できませんでしたね(笑)

それを結婚式のタイミングでFacebookから知った人間は、サッカーの歴史を見ても、僕だけなんじゃないでしょうか(笑)

最終的にそのトラブルが収まるまでもけっこう時間が掛かりました。まだ僕はクラブとの契約が残っていたので、ラオスに戻ってからは「残りの契約をどうするのか」という話を進めました。メコンカップの時に「勝てばボーナス」という状態で、最終的に決勝まで進んだんですが、それも全く払われずで…。

で、次の移籍先も探していたんですが、そこで実際に体まで動いてしまうと、残りのお金が支払われないなと思ったので、約二か月はラオスで全く動けない状態が続きました。

━━何も約束されない中、生活費の面などかなり不安な時期だったのでは?

いつ契約解除になるのか、いつ支払われるのかが全くわかりませんでしたからね。

でも、いつでもトライアルを受けにいけるように体は準備しなきゃいけないという感じで。当たり前ですが、チーム練習はなかったので、一人でグラウンドに行って壁に向かってボールを蹴ったり、走り込んだりして過ごしていました。

━━その間にどんどん移籍市場も閉まってきますよね…。

そうなんです。僕以外も皆大変そうにしていました。特に外国人選手は移籍期間についてシビアですから。

ただ、僕は幸運なことに話が全て片付いた直後、ラオスで知り合ったブラジル人を通じて、「インドネシアのクラブがアジア人を探している」との話を聞けたんです。それで、すぐにインドネシアに向かいました。ラオスでの話が決着した二日後でしたね。