チームスポーツであるサッカーにおいて、1人の選手が4得点を挙げるという事例はそう多いわけではない。Jリーグ公式サイトによれば、創設から20年が経過したJ1でも1試合に4得点をあげたのはわずか13例しかなく、その達成がいかに難しいかが分かる。

それだけに、シンガポールの地で私たちが見た光景はなかなか堪えるものであった。

日本時間14日に行われた日本代表対ブラジル代表の国際親善試合は、0-4とブラジルが勝利した。ご存知の通り、スコアラーはネイマール1人である。

ネイマールはこれまで、「日本」という相手に抜群の相性を誇ってきた。古くは2009年のU-17ワールドカップに始まり、2011年のクラブワールドカップ、2012年の親善試合、2013年のコンフェデレーションズカップと得点を重ね、今回の試合では4得点の偉業を達成。弱冠22歳にしてブラジル代表通算40得点を記録し、ベベットを抜き同国代表の歴代得点ランキング5位に踊りでた。彼の上にはジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ペレの4人しかいない。

さて、そんなネイマールに4得点を許した日本代表だが、これまで1人の選手に4得点を奪われた過去はあるのだろうか?少し気になってので、実際に調べてみることにした。

こういった調査をする際に厄介なのは、「調べる範囲をどこに絞るか」ということである。なぜなら、1930年代の記録が参考になるかといえば皆目怪しいからである。日本サッカー協会(JFA)が設立されたのは1921年、JFAがFIFAに加盟したのが1929年。この当時の記録には得点者が載っていないものもあり、さらに日本は第二次世界大戦も経験している。

そのため今回は、ある基準を設ける。 「JFAの公式HPに掲載された記録の中で、スコアラーの記載があり国際Aマッチとして認定されたもの」を調査対象とする。それでは、早速スタートすることにしよう。

そもそもだが、4得点まではいかないまでも、日本代表が最も近くにハットトリックを奪われたのはいつなのだろう?実は、2000年代に入ってから1度だけある。これを思い出せる人がいればなかなかの猛者。それがこの試合だ。

キリンチャレンジカップ2005
日本代表 5 - 4 ホンジュラス代表 [2005.09.07]宮城・宮城スタジアム
3得点達成者:ウィルメル・ベラスケス 8´, 27´, 50´
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2005年に行われたホンジュラス戦。この試合で日本はウィルメル・ベラスケスにハットトリックを決められている。逆に言えば、この試合からブラジル戦までの約10年間、日本は相手選手にハットトリックを許さなかったということでもある。これはちょっと意外であった。

調べてみて分かったのだが、実は長い日本サッカーの歴史を紐解いても、国際Aマッチでハットトリックを許した例はホンジュラス戦を含めて5例しかない。

ベルリン五輪準々決勝
日本代表 0 - 8 イタリア代表 [1936.08.07]ベルリン
3得点達成者:アンニバレ・フロッシ 14´, 75´, 80´
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ミュンヘンオリンピックアジア東地区予選
日本代表 0 - 3 マレーシア代表 [1971.09.23]ソウル
3得点達成者:アマド・バカル 46´, 82´, 84´
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第8回日韓定期戦
韓国代表 4 - 1 日本代表 [1979.06.16]ソウル
3得点達成者:朴成華 15´, 24´, 52´
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ロサンゼルスオリンピック アジア/オセアニア地区最終予選
日本代表 2 - 5 タイ代表 [1984.04.15] シンガポール
3得点達成者:ピヤポン・プオン 16´, 50´, 72´(PK)
公式記録はこちらから

いずれも1990年代以前の記録である。今では信じがたいことだが、この当時はマレーシアやタイといった東南アジア諸国に日本は連続して敗れている。次のアジアカップにアジア王者として挑戦する日本だが、実は数十年前までアジアレベルの選手にハットトリックを許していたのである。

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