プロを目指すいいきっかけ

当時の宮城県の育成年代は優れた選手が集まっていた。みやぎバルセロナFCには香川を筆頭に、遠藤さんの1学年上に青山隼(じゅん)さん(元名古屋グランパス、現在俳優・歌手)、東浩史(ひろし)さん(元AC長野パルセイロ)。ベガルタ仙台アカデミーには奥埜(おくの)博亮(J1湘南ベルマーレ)が在籍しており、群雄割拠の時代を形成していた。

「ベガルタには(2学年上の)大久保剛志(ごうし)くん(元仙台)とかいて、奥埜がいて。バルサには真司、東くん、青山くんがいました。塩釜には(1学年上に)加藤健太くん(元ロアッソ熊本)がいましたね。当時はすごくいいライバルが各チームにいました。

僕もそのときはバルサとベガルタを倒して全国大会に行きたい気持ちが強かったので、そのために頑張っていました。プロになりたいから頑張っていたというより、全国大会へ行きたい気持ちがすごく強かった。自然と自分のモチベーションになり、いいライバル関係だったと思います」

レベルの高い選手たちが集まっていた一方で、世代別代表に招集されれば、さらに卓越した選手たちから刺激を受けた。

「その当時、アンダーの代表に行かせてもらって、周りのガンバ大阪ユースの子や、(代表)チームで一緒にやっていた人たちから話を聞くと、宮城はレベルが低いんだなと。俺はプロになれるのかなと思いましたね」

将来はJリーガーになる。頭の片隅にはあったが、当時全国大会出場に燃えていた遠藤さんは、具体的なイメージを描けなかった。そんなとき、ライバルのプロ入りが大きなきっかけとなった。

香川は高校2年次にセレッソ大阪と契約を結び、一足先にプロの世界へ飛び込んだ。

遠藤さんが刺激を受けた香川(Getty Images)

「(香川のプロ契約に)衝撃を受けましたよ。それが僕にとっていいきっかけになった。僕はプロに行けたらいいなと思っていた中、真司はプロの世界で揉まれている。僕は塩釜FCでやらなければいけないから、誰よりもこだわって練習しなければいけないと思いましたね」

身近なライバルがJリーガーになったことで、少年はプロに行くために試行錯誤を繰り返しながら成長を遂げていった。