「いつか恩返しをしたい」
種田は小学4年のときに、大宮アカデミーのセレクションを受けて見事に合格した。
「実家が浦和なんですけど、(J1浦和)レッズは受けませんでした。(周りは)レッズのファンばかりで、アルディージャのファンはほぼいなかったです。友達からは『浦和で育ったのに、なんでレッズじゃないんだ』と言われました(笑)」
赤一色の街で生まれ育ちながら、あくまでも“プロサッカー選手になる”という夢を追い求めて、育成に定評がある大宮の下部組織へ入団した。
種田が大宮ジュニアに入ると、一足先にセレクションに受かって入団したDF市原吏音(りおん、大宮)がいた。
2005年生まれで同学年の二人はその後、種田は背番号10、市原は守備の要として、ともに大宮ジュニア、U15、U18の各世代のチームで中心選手に成長した。
また市原とは同じ高校に通い、高校1年のときにはクラスメイトとして過ごした。
「(市原と)ジュニアから一緒だったので、学校まで一緒になるのはちょっと違和感がありました。しかも同じクラスだったので、『なんで同じ学校にいるんだろう』という不思議な感じがしました(笑)。
最初は違和感があったんですけど、1年のときは一緒のクラスだったので、昼はかたまってご飯を食べたり、体育祭のリレーをアルディージャ(の選手)で走ったりしたのは思い出ですね」と、青春時代を振り返った。
公私ともに仲が良い二人だが、サッカー選手としては良きライバルだ。
2023シーズンは、種田は市原とともに大宮のトップチームに2種登録選手として登録された。
だが、同シーズンにトップチームで頭角を現した市原とは対照的に、種田はU18での出場に限られた。
当時を回想したドリブラーは「正直、悔しかったです。納得がいかない部分もあって、コーチに『なんで自分もトップチームに行かせてくれないんだ』と聞きました。僕は、自分の方がやれるんじゃないかという気持ちがありましたし、早くトップチームで活躍したい想いもありました。正直、焦りましたね」と、唇をかみしめた。
それでも、コーチから「U18はお前が引っ張っていかないと駄目だ」と言われた種田は、心機一転してU18でのプレーに全力を注いだ。最終的に同チームは、U-18プレミアリーグEASTで12チーム中9位となり、なんとか残留に成功した。
翌シーズンにトップチームデビューを果たした種田は、ルヴァンカップの岐阜戦でプロ初得点を挙げた。
「小さなことですけど、少しだけでも恩返しできたかなと。そこは本当に良かったと思います。だけど、まだ足りない」と種田。
アカデミー時代から9年間を過ごし、最後まで自らの意志を尊重し続けてくれた大宮へ、いつか恩返しをしたいと考えている。
「大宮で育ってきましたが、それをクラブに恩返しできなかった。最終的には大宮でプレーして、自分を温かく受け入れてくれたサポーターの皆さんやスタッフの方々に、何か形として恩返しできればと思います」
夢の欧州挑戦へ、また愛する古巣に恩返しをするために、今後さらなる成長が求められる。まずはマーシャル大で着実に結果を残すことが重要だ。
今季から種田は、背番号を18番から10番に変更した。
「今季はありがたいことに、背番号10をいただきました。10番をもらうときにスタッフから『10ゴールぐらい決めてくれるよね。うちの大学を背負うということは、そのぐらいの活躍を期待するよ』と言われました。2年目で10番をもらえると思っていなかったので、それがいいプレッシャーになっています。
僕、10番が好きなんですよ。大宮のジュニアユース、ユースでずっと10番だったので、またこの番号をつけたいと思っていました。小学校、中学校、高校、大学と10番をつけてきたので、プロでも10番をつけたいですね」と、目標を高らかに掲げた。
大宮のアカデミー時代に背番号10を背負い続けた経験が、種田の挑戦に静かな自信を与えている。アメリカの地で再びエースナンバーを背負う青年の目は、未来を見据える。
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