挑戦とクラブ愛の間で葛藤…

アメリカの複数の大学から関心を受けた種田だったが、すぐに海を渡る決断ができたわけではない。

同選手は当時、大宮の2種登録選手としてトップチームにも登録されており、アメリカでトライアウトを受けた同時期に、プロ契約の打診も受けていた。

小学4年から大宮のアカデミーで育った背番号10にとって、自分を育ててくれたクラブからの打診を、そう簡単に断れなかった。

「正直、葛藤はありましたね。(大宮に)残ってプレーする気持ちは最後までありました。プロの環境を見た中で、自分が成長できる環境はもしかしたらここなんじゃないかなと考えた時期もありました。スタッフの方からも『もう一度考えてみないか』と言われました」

それでも種田は、当時の実力ではトップチームのポジションを勝ち取れる保障はないと感じた。

「だったら、もっと新しい挑戦をして、違う世界も見てみたい」と考えたMFは、渡米を決断。アメリカ大学サッカーの名門マーシャル大へ進学した。

また、欧州のリーグへの挑戦も「なかったわけではない」と明かしたが、英語を学びながら「段階を追って成長したい」という気持ちが強かった。

(本人提供)

ただ、マーシャル大の入学時期は2024年8月から。アメリカの大学トップリーグであるNCAAの開幕も同月からとなる。

種田が大宮に退団の意思を伝えたのは2023年冬だったため、半年以上は無所属の期間を過ごすことに。年明け以降は個人でのコンディション調整を覚悟していた。

そのとき、種田に手を差し伸べてくれた人物が、原博実フットボール本部長だった。

「原さんから『アメリカに行くまでの期間はどこでプレーするんだ』と聞かれて、そのとき僕は何もアイデアがなかった。原さんから『その期間だけでもトップチームでプレーしてみてはどうだ』と、ありがたい提案を受けました。本当にびっくりしたことを覚えています」

その後、大宮のトップチームと短期間のアマチュア契約を結んだMFは、公式戦3試合に出場。J3・FC岐阜とのルヴァンカップ1stラウンド1回戦では、勝ち越しゴールを決めて、チームの勝利に貢献した。

得意のドリブルを仕掛ける種田(写真中央、右から二番目、本人提供)

プロの舞台で経験を積んだ高卒ルーキーは、2024年6月1日にホームで行われたJ3第15節AC長野パルセイロ戦でサポーターに別れを告げ、大学が所在するアメリカ・ニューハンプシャーへ飛んだ。

次項では、名門マーシャル大のレベルやアメリカでの生活について話を伺った。

すると、意外な選手とのつながりも見えてきた。