不安を抱えながら闘ったトライアウト

トライアウトは2024年12月11日から二日間にかけてカンセキスタジアムとちぎで行われた。

2024年シーズンのJリーグが終了し、選手たちの多くがオフを満喫する中、寒空の下で黙々とウォーミングアップをする土肥がいた。

各所属クラブから契約満了を告げられたJリーガーたちが集まるトライアウト。参加者たちは来季以降もプロサッカー選手であり続けるために、急造チームの中で必死にアピールした。

トライアウトで中盤からゲームをコントロールした土肥(写真:浅野凜太郎)

開催二日目に参加していた土肥は「もうやるしかないという気持ちです。失うものは何もない」と強い言葉を残していたが、内心は違った。

「初めての感情というか、『これからどうなっていくんだろう』という不安な気持ちがありました。自分は栃木でプレーしていたので、『また栃木に帰ってきてしまった』と思って、とても複雑でした」と胸の内を明かした。

トライアウトでは本職の中盤でプレー。プレーメイカーは実力を発揮しようと試みたが、独特な雰囲気の影響もあってパフォーマンスを発揮できず。暗い面持ちでグラウンドを後にした。

「正直、トライアウトでオファーが来ることはほぼないと思っていたので、いろいろと『終わったな』と思っていました」

守備時には身体を張ってアピールした土肥(左、写真:浅野凜太郎)

公式戦24試合に出場した広島からの退団リリースは翌日に発表された。

古巣を離れるに際して残したメッセージには『僕のサッカー人生は終わりません』という決意。

憧れの存在は、広島のバンディエラとして昨季限りで現役を引退した元日本代表の青山敏弘(現広島コーチ)だ。広島で長らく背番号6を背負った青山の引退試合はテレビの前で観ていて、涙を流すほど慕っていた。

広島の象徴として活躍した青山コーチ(写真:Gettyimages)

「青さんはずっとサッカーを楽しんでいた。自分もあのときが一番サッカーを楽しんでいました」と、レジェンドとプレーした日々を回想し、広島を離れると決まってから、青山に連絡を入れた。

紫の戦士としてバンディエラの後を継ぎたかった土肥は「青さんに連絡をして初心に戻りました。『あの輝きを忘れていないから、必ずまた成長できる』と言ってもらえてうれしかったですが、同時に悔しい気持ちも出てきました。(広島では)想像していたよりも全然ダメで、やっぱり難しかったです」と、愛するクラブに別れを告げ、懸命に前を向いた。