ハワイ出店を断り福島に残り続ける理由
福島第一原子力発電所の事故処理作業員のために約6年間料理を作り続けた西シェフは、全国的にも知名度の高い料理人の一人だ。
これまでサッカー日本代表専属シェフとして長い間サムライブルーを支え続けた名シェフの元には数多くの出店オファーがあり、中には「以前うちのかみさんの知り合いから『ハワイに出店しないか』と言われたかな」と海外出店の申し出もあったという。
ただ西シェフはすべてのオファーを辞退して福島に残り続けている。広野町に住み続ける理由は「誰かがやらなくちゃいけないこと。本当にそれだけですよ」と地域のために西シェフができることをしている。
福島浜通り地域は東日本大震災により大きな被害を受けた。あれから14年目を迎え、避難していた人たちが戻り、復興も順調に進んでいる。
西シェフは「郷土愛はもちろんあります。ここでずっとやってきて、いろんな人に助けてもらったというのが大きいよね。震災の前からもそうだけど、震災以降は広野町に住民票を持ってきて、広野町の農家のおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんに『アルパインローズ』の片付けを手伝ってもらってつながりができました。そこから野菜を分けてもらえて、イベントで一緒に出品、出店してね。いまではこんなに人が戻ってきているけど、当時はおじいちゃん、おばあちゃんを含めて2、30人しかいなかったんですよ。
学校が始まったときくらいかな。子どもの親は周りから白い目で見られることもあった。『なんで子どもを連れて帰ってきたんだ』ということもありました。原発の放射能で『線量が高いのになんだかんだ』とかね。当時は広野町の人もそうやって避難していたからね。(規制が)解除したけど、解除したって帰ってくる人はほんのちょっとしかいなかった。そこでみんなと花火大会に、夏のイベントを駅前でやって『こんなことをやっているから顔を出してね』みたいなことをやっていましたね」と広野町に住む人々とともに様々な困難を乗り越えた経験を振り返った。
「ここに住む人たちと一緒にここで生きていこう」と西シェフがいうように、いまも広野町で信念を持って浜通り地域で料理を作り続けている。この場所から離れる選択肢はない。作業員に料理を提供していた『アルパインローズ』は2018年2月28日をもって閉店したが、現在はイオン広野店のフードコート内で営業しているレストラン『くっちぃーな』は地域住民やサッカーファンの憩いの場となっている。