「WBが嫌だった」から始まった武者修行、ピッチ内外で得た経験

※長沼洋一選手の年度別リーグ戦出場記録(筆者作成)

出場機会を掴めないだけでなく、日々の練習から自分の納得できるポジションでアピールもできない現実に直面した長沼は2017年8月、J2のモンテディオ山形へ育成型期限付き移籍を決断。

翌年にも、確固たる自身の哲学をもつ大木武監督(ロアッソ熊本監督)が率いる当時J2のFC岐阜へレンタル移籍。決して多くの出場機会は得られなかったが、掴んだものは大きかったようだ。

「プロ2年目の夏に、『本来の自分が得意である前線のポジションで勝負したい』と代理人を通して希望を出し、山形へ半年間行くことになりました。

その山形では3試合に途中出場しただけだったんですけど、練習から凄く充実した日々を過ごすことができました。練習試合も含めてFWやトップ下、ウイングでプレーするなかで、『全然やれる!』と手応えを掴めた時間だったんです。

それから、その年の終わりに東京五輪世代の代表チーム(U-21,22日本代表)が立ち上がり、僕もその最初のメンバーに招集されました。ポイチさん(森保監督)が東京五輪代表チームの監督に就任することも決まっていたので、『WBなら東京五輪に出られる可能性もあるな』と考え直しました。

次の年に岐阜へ行った時には自分で大木さん(大木監督)に『サイドバック(SB)でプレーさせてください』と言いましたし、覚悟を決めました。

実は山梨では大木さんの息子さんと同じクラブでプレーしていたこともあり、大木さんは僕が中学時代にFWやトップ下でプレーしていた頃のプレースタイルを知っていました。これはあとで知ったことなのですが、どうやら大木さんは僕を前のポジションで考えていたようなんです」

2019年からの2年間はJ2の愛媛FCへレンタル移籍。現在の鳥栖を率いる川井監督の下では広島ユース出身の後輩MF川村も同じく武者修行先として共にプレーした。また、鳥栖で同僚となるDF山崎浩介やGK岡本昌弘、MF森谷賢太郎との出会いもあった。

「愛媛にはDF森脇良太さん(愛媛)やMF高萩洋次郎さん(アルビレックス新潟シンガポール)を始め、広島ユース出身の選手が活躍し、広島に戻ってからも活躍するケースが多く、他クラブからでもFW斎藤学選手(アスルクラロ沼津)を筆頭に愛媛でブレイクして大きく羽搏いていく選手が多いイメージがありました。

そして、当時の愛媛では世代別の日本代表で一緒だった同学年のMF神谷優太(江原FC/韓国)が前年から10番を着て活躍していて、東京五輪出場も狙う彼と共にプレーしたいと考えて加入しました。

ただ、レンタル移籍も3回目。危機感も通り越して、実質はラストチャンスだと思って愛媛に向かいました」