26日、元日本代表の福西崇史がYouTubeの『おじさんだけど、遊んでもいいですか?』にホスト役の前園真聖と共に出演し、自身がFWからボランチに転向した経緯を明かした。

福西はジュビロ磐田の黄金時代を支えた一人で、日本代表としても2002, 2006年とワールドカップ2大会に連続出場するなど64試合7得点を記録した。

そんな福西といえば大型のボランチとして知られるが、プロ入り直後まではFWだった。ただ1年目の夏前にボランチへ転向し、大きな成功を掴んでいる。

プロ入りして数カ月での転向について、福西が当時を回想しながら詳細を明かす。

自身によれば地元・愛媛の新居浜工業高校時代は無名で、Jリーグからのオファーも磐田だけ。プロ入り後もサテライトリーグ(2軍)でさえほとんど出場できず、「このままだとやべぇ…」とプロとして生き残ることにかなりの危機感を覚えていたという。

そんな時だった。当時磐田の指揮官を務めていたオランダ人のハンス・オフト監督から「ボランチをやれ。するならトップ(チーム)に来い」と2軍の監督経由で言われ、二つ返事でOKしたのだという。

なぜ二つ返事でOKしたのかについて、もともと無名だったこと、2軍でも出番がなかったことへの危機感が一番で変なプライドやFWへのこだわりはなかったそうだ。ただ得点へのこだわりだけは残り、それが彼の代名詞であるヘディングからの得点に生かされたという。

前園から「(転向が)大胆だよね?」と問われると福西は「オフトだから(できた)」と反応。当時、磐田のFW陣には中山雅史やサルヴァトーレ・スキラッチなどがおり、この転向がなかったら「消えていたでしょうね」と振り返っている。

気になるのは、オフトがなぜ1年目の福西に転向を勧めたのかであろう。

福西はオフト本人とは直接話してないものの、数年前にオフトと近しい人物に聞いてもらったようだ。すると「おまえは前を向いてプレーをするほうがいい。ボールを持って前に運ぶほうがいい」という説明をされたとのこと(FWはゴールに背を向けてプレーする機会が多い)。

トップチームの指揮官だったオフトとサテライトでも出番がなかった福西にはそれほど接点があったわけでもない。にもかかわらず、福西の素質を見抜いたオフトの慧眼はさすがといえる。

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当時は「ボランチ」という言葉が日本に流行り始めた頃で、文字通り「右も左も分からない」状況だった福西だが、転向を機に守備を必死で勉強。同じポジションの世界的な選手で、95年の前年にワールドカップで優勝したブラジル代表の主将ドゥンガが同年7月に磐田へ加入する幸運も重なった。

世界のトップであるドゥンガのプレーを間近で見ることができた福西は、ボランチとして急成長していくこととなる。

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