――高校は地元の佐賀東。インターハイや選手権に出場されていましたが、当時のプロとの“距離感”はいかがでしたか?
自分は佐賀東で、高校3年生くらいの時にやっと本当にスタメンを取れたという感じだったので、プロにはなりたいけど遠い存在というか現実味はなかったです。それよりは自分のプレーにフォーカスして上を目指している日々でした。
「プロになる」というイメージが全くできなかったので、高校の時はオファーが来なかったら「もうここで終わろう」と本当に思っていました。夏に大学からお話をいただくまではプロへの現実味はほとんどなかったですね。
――高校時代はどんなタイプの選手?
(チームが)ポゼッションサッカーだったので、相手を見てポジションを取って判断するみたいな感じでした。
高校生の時はまだそんなに足が速くなくて、どちらかというとドリブルで仕掛けて攻撃参加していくみたいなタイプだった気がします。
――2019年に山梨学院大へ進学。これはオファーを受けて練習参加等を経て決めたという感じです?
そうですね。完全に特待生みたいな感じではないですけど、山梨学院から練習参加だったりそういうオファーを受けたので、「もう一回チャンスをもらえた」と思って、死ぬ気で4年間頑張ろうと思って行きました。
――山梨学院大はどんなチームでした?
自分とほぼ同じタイミングで岩渕(弘幹)監督と大場(賢治)ヘッドコーチが就任されて。
本当に恩師じゃないですけど、ほかのスタッフを含めそういった方々のマネジメントやサッカーがあってこそ今があります。大学がサッカー人生の中で一番伸びた4年間だったと思っています。
サッカースタイル的には、繋ぎつつも完全にポゼッションというわけではなく、カウンターもできるしポゼッションもできるようなサッカーを求められていました。その中で守備は結構前から行くようなサッカーでした。