生い立ちからジェフへの加入、名監督との出会い
水野はサッカー王国・静岡の中でも有名な清水市で生まれ育ち、名門・清水商業を経て2004年にジェフユナイテッド千葉に加入した。そこで偉大なる名監督と出会い、飛躍的な成長を遂げることになる。
――水野選手はサッカーどころの清水市ご出身ですね。他の町との違いを感じたりしますか?
違うというか、生まれて記憶があるうちから目の前にボールがありました。兄もずっとサッカーをやっていたので自然とサッカーをする道のりができていましたね。
なおかつ「サッカー王国」と言われた清水だったので、サッカーができる環境がすごくあったんですよ。
ここ最近は公園に行っても「ボール禁止」「大声禁止」とかいろいろ書いてあったりもあったりしますけど、僕の子供の時代は…清水だけだと思うんですけど公園にサッカーゴールが設置されていました。
そんな公園がほとんどなんですよ。なのでサッカーのない日であってもみんなに声をかけて誘って、「あそこの公園で今日みんなでやろうぜ」と遊んだりとか。
そういう環境で良かったな、清水で良かったなってはすごく思います。
――地元の清水商業から2004年にジェフへ加入。その経緯はどういう形だったんでしょうか?
実は、学校の先生…監督を怒らせてしまった事件があって。
一応清商2年の時には全国大会、3年の時には国体の選手に選ばれるなど、試合には出ていて活躍もできてたんです。
ただ当時の監督からは「今のままだとプロでは絶対通用しない。行けたとしても2,3年で絶対終わってしまうからお前は大学行け」と言われていました。
なぜかというと身長173cmに対して体重が52,3kgとかしかなかったんです。「もやし」とか「マッチ棒」と言われるくらい細くて。
そういうことも含めて監督が大学進学を勧めてきて、筑波大学の面接に行きました。
ただ事前準備が甘かったというか、それまで大人の方と喋る機会があまりなかったので面接の時に頭が真っ白になってしまって。推薦で行ったにもかかわらず落ちてしまいました(笑)。
その時点で監督に怒られて…。その後他の大学に願書を出してそこに行くという話を先生…監督と決めてたんですが、その後ジェフからお話がありました。
当時ジェフのコーチが清商の卒業生である江尻(篤彦)さんでした。ジェフはその年即戦力の選手を取れなかったので、育成として僕に目を付けて声をかけてくれたっていうところが始まりですね。