秋田との運命的な繋がり

――なるほど。オシムさんのそばで通訳を経験したから監督業に転身されたのですね。

(プロの現場で働く)アピールをさせてもらったんですよね。その中でジェフが認めてくれました。アマルさんが2年目のときに、僕を通訳だけじゃなくて「通訳兼コーチ」という形にしてくれたんですよ。

アマルさんがいなくなって新たにヨシップ・クゼというクロアチア人監督が来たときに、初めて「通訳兼」というのも無くなって、トップチームのコーチにさせてもらったんですよね。

いいスタートを切らせてもらったので、その後違うクラブへ行ってもファジアーノ岡山、東京ヴェルディでもトップチームのコーチをやらせてもらえました。

――そして秋田の監督に就任されました。親族に秋田出身の方がいて秋田とは縁があったとか。

(親族に秋田出身がいることは)そうそう、それは偶然だったんですけど。純粋にブラウブリッツ秋田、そして岩瀬(浩介)社長がいろんな人選の中で私を選んでくれた。

自分の母親が秋田出身なんですよね。幼少期は秋田で育ってたりとか、その関係もあって自分の親戚が秋田に住んでいたりとか、秋田の知っている街並みがあるんですよ。あと9歳のときですかね、小3のときに旅行で秋田へ行きました。なんだろう…。秋田は運命的でしたね。