宮本恒靖

クラブ:レッドブル・ザルツブルク→ヴィッセル神戸

2002年のワールドカップでは鼻骨骨折を保護するためのマスクを着用して「バットマン」という愛称を付けられたDF。ガンバ大阪で長くプレーしたが、2006年のシーズン終了後、三都主アレサンドロと同時にレッドブル・ザルツブルクへ加入した。

【写真】「浦和レッズに行き着いた」欧州帰りの日本人選手たち

オーストリアではセンターバックやサイドバックとしてプレーしたが、徐々に出場機会が減少してしまい、2009年1月に日本への復帰を決断。ヴィッセル神戸と契約し、現役を引退する2011年末まで所属していた。御存知の通りその後はFIFAマスターを取得し、ガンバ大阪U-23とガンバ大阪の監督として指揮を執った。

【Qolyインタビュー】パリ五輪出場の東京ヴェルディMF山田楓喜、トッテナムのクルゼフスキを「自分の究極系」と語るワケ

大谷翔平より稼ぐ5人のサッカー選手