━━ギリギリまで辛抱したことについて、今振り返るといかがでしょう?

難しい所ですが、やっぱり、試合に使ってもらい続けるにはそれしかなかったんですよね。

結局、二年で契約満了という形にはなりましたが、一年目で試合に出られなかった可能性もあったので。

まぁ、本当に有望な選手であれば、怪我をしていても契約更新はしてくれるものなので、最終的には僕のレベルが信頼に足らなかったんだと思います。

━━その時の気持ちの整理はどのように?

これがきっかけとなり、「外国でプレーしたい」という気持ちが固まりました。

ただ、まだ怪我の影響でまだ本調子ではなかったので、まずは日本でということで(当時JFL)FC琉球に入団しました。Jリーグ経験者のベテランの方も多くて、自分のためにも良い環境かなと感じたんです。

後、実は「沖縄は暖かいので足首にもいいかな」という期待もしていたんですが、これは逆効果でした。足首をかばい過ぎたことでグロインペインも発症したりと、きついシーズンになっちゃいましたね(笑)

海外に出てからは怪我で休むようなことはなくなったので、当時を振り返ると、何であんなに怪我が多かったんだろうと不思議に思うんですが…。

━━そして、2013年から海外挑戦が始まります。初めての挑戦先はモンテネグロでしたね。

はい。サッカー選手を海外クラブに紹介する企業さんと繋がり、その協力の下で行くことができました。

━━しかし、あまり情報のないモンテネグロに行くことに不安はなかったのでしょうか?

いや、僕は誰も行ったことのないような国でやりたかったんですよ(笑)もちろん、「どこやねん」とはなりましたが、楽しみのほうが強かったですね。

当時はトライアルに日本人選手が何人か参加して、そこから選定されるような流れでしたが、僕としてはそういうのではなく「最初から一人で行ってみたかった」というのが本音です(笑)

━━実際に行ってみてからはどのような流れに?

最初、一部の強いクラブにサイドバックとして練習参加して、一定の評価は得られましたが、そこは入団には至らず。で、その次に行ったFKグルバリと契約しました。

でも、この契約が謎で…契約したもののシーズンが始まる前の段階で何故か監督から干されたんです(笑)

ずっとスタメンで使われて契約の話まで行ったのに、途中から練習試合にすら呼ばれなくなるという展開(笑)

で、「これはまずいな…」と感じて、サインする直前にレンタル移籍の話を進めてもらって、二部のFKボケリにレンタルで加入することになりました。