AFCアジアカップはいよいよ今夜が決勝戦。日本代表は5度目の優勝をかけてカタール代表と対戦する。
日本代表がアジア杯で初優勝を飾ったのは、自国開催だった1992年の広島大会。決勝戦では高木琢也氏(現大宮アルディージャ監督)の左足が火を噴き、サウジアラビア代表に1-0で勝利。見事アジアの頂点に昇りつめた。
この大会ではもう一つ、大きな出来事があった。それはメーカーのテンプレートではなく、完全オリジナルデザインの日本代表ユニフォームが登場したことだ。幾何学模様のその新ユニフォームは、アジア杯優勝の翌年にカタールで起きた悲劇から、後に「ドーハモデル」と呼ばれるようになる。
92年のアジア杯初優勝は、言わば日本サッカー新時代の幕開け。それはユニフォームにとっても同じで、歴史に例えるなら“近代史”と言ったところだろうか。
ここではアジア杯決勝を前に、この27年間に登場した数多のジャパンブルーのキットを、改めて目に焼き付けておきたい。
ドーハモデル(1992-96)
あのドーハの悲劇を経験したPuma製ユニフォームで、後にドーハモデルと呼ばれるように。この時代は同じデザインをadidas、Puma、Asicsの3社が持ち回りで担当していた。幾何学模様はヤタガラスの羽をデザインしたものだ。
92年のアジア杯で使われた最初のドーハモデルはadidas製だった。93年のPuma製を経て、94年にはAsics製の3代目ドーハモデルが登場。そして最後は95年に再びadidas製で締めくくった。