2008年北京五輪 梶山陽平
「日本のバレロン」とも例えられた未完の大器。2005年のワールドユースでベスト16(モロッコに敗れる)に進んだ時の中盤のレギュラーで、2008年からはFC東京でも10番をつけた。FC東京のクラブユース出身の選手として初の背番号10である。
日本代表チームは、アメリカ、オランダ、ナイジェリアと3チームを前にいずれも1点差ゲームで敗れグループ3戦全敗で大会を去ることになった。これまで、オリンピックでは比較的何かしらの結果を残してきただけに、失望の大会となった。
また、反町康治監督の戦術に対して本田圭佑が「それはごもっともだけど俺の考えは違った」と発言し“問題児”として話題となった。
しかし、その本田だけでなく長友佑都、香川真司、岡崎慎司(当時は右サイドで主にプレー)、内田篤人、吉田麻也ら2010年ワールドカップ以降の日本代表主力が揃ったチームであり、これほどまでに後にA代表に定着したチームも多くないのもまた事実である。
なみに背番号にこだわりのある本田は8番、香川は14番、内田は7番など現在の印象とは少し違う背番号をつけており、梶山が10番、豊田陽平が9番をつけた。
梶山は大会後もFC東京でプレーを続け、一時パナシナイコス、大分トリニータでプレーしたものの現在は再びFC東京でプレーしている。