2004年アテネ五輪 松井大輔
五輪発祥の地ギリシャに五輪が帰ってくる。そんな記念すべき大会で10番をつけたのが松井大輔である。当時所属していた京都パープルサンガでも10番をつけ、既にA代表デビューを飾っていた。
大久保嘉人、阿部勇樹、駒野友一、田中マルクス闘莉王ら後に日本代表の主力を擁し、小野伸二と共に技術的な側面を期待された松井。独特のドリブルテクニックを武器に相手ディフェンスを翻弄するが、山本JAPANにおいては途中出場も多く不完全燃焼となる大会となった。
パラグアイ、イタリアに1点差で負け、ガーナ戦で勝利したもののグループリーグ敗退となった。山本昌邦監督の「人間力」というキャッチフレーズが、オリンピックは結果を求めるよりも後の日本代表を育成するといった着眼点とも捉えられ、独り歩きする格好で批判の的になってしまった。
大会後にル・マンへレンタル移籍、『ル・マンの太陽』とも呼ばれチームの中心として活躍し1部昇格、残留を経験した。2006年のドイツワールドカップでは怪我もあり落選したが、2010年のワールドカップでは右サイドのレギュラーとしてベスト16入りに貢献した。
後にフランスで数チーム、ロシア、ブルガリア、ポーランドと東欧を渡り歩き2014年にジュビロ磐田へ移籍、現在はJ1を舞台に戦っている。
妻は女優の加藤ローサであることも有名だ。