海外のファンを見ていて何よりも感じたのは、彼らは「ただ歌いたいから歌っていた」ということだ。

もちろん彼らにもチームのことを思う気持ちはあるはずだ。

しかしそれ以上に、彼らは誰かと歌ったり声を出したりすることが何よりも楽しいと思っているからこそそうしているように見えた。

そして、それが結果的に極上のムードを演出し選手を高揚させているというわけだ。欧州や南米ではチャントが自然発生すると言うが、そうなるのも頷ける。

これはクラブワールドカップで来日したモンテレイやリーベル・プレートのサポーターを見ていても思ったことだ。

彼らは仲間と歌うのが何よりも楽しそうだった。

そうでなければ、入場前に大声で歌いながらスタジアムを一周したりはしない。道頓堀や代々木公園をジャックしたりもしない(もちろん人に迷惑をかけるのは言語道断である)。

一方で、日本人は応援というものを「選手やチームのためにするもの」と捉えている節があるように感じる。

応援とは選手たちへの“メッセージ”であり、なぜ応援するかというとそれが選手のためになると信じているからだ。だからこそ苦しい時に励まし、良い時にはさらなる後押しを惜しまない。チャントや応援歌の歌詞を見ていても、そういった言葉が並ぶ印象だ。

楽しいと思っているからこそ外国人はあれだけの声を出し、迫力あるムードを作り出すことができる。一方で、日本人にとっては「応援=選手たちのためのもの」であり、だからこそ声量や持続性に限界があるのではないだろうか。

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