ジョセフ・ドスという元ナイジェリア代表選手を知っているだろうか?

1996年のアトランタオリンピックで金メダルを獲得し、世界を驚かせたチームの一員だった。そして、その後イタリアのレッジアーナと契約し、ヨーロッパに進出したゴールキーパーだった。

フル代表でも1996~97年に3試合の出場を果たし、今後のチームを引っ張っていく存在になるのではないかと言われていた。

ところが、彼に突然の悲劇が訪れる。1997年、ラゴスで大きな交通事故に遭ったことで下半身が麻痺してしまったのだ。リハビリに望むも状況は回復することなく、車いすでの生活を余儀なくされたジョセフ・ドスは23歳という若さでプロ選手としてのキャリアを閉じることになった。

一時期はそれほど表に出てくることはなかったが、2009年にラゴスのウェステルロー・サッカー・アカデミーで指導者としてのキャリアをスタートさせ、第二の人生を始めている。

先日行われたナイジェリアサッカーリーグの試合を観戦に訪れたジョセフ・ドスは、『Independent』のロングインタビューに応えた。かつての『Vanguard』の記事を交えて抜粋する。

ジョセフ・ドス

「(サッカーとの出会いは?)

私は6人きょうだい、4名の兄弟と2名の姉妹がいるなかの3番目だ。サッカー、特にゴールキーパーが家族に息づいているね。兄のデイヴィッドはラッカ・ローヴァーズでキーパーをやっていた。今、きょうだいのうち3名がキーパーをしているよ。

近所でサッカーを始めた後、地域リーグのニジェール・ドックFCでプレーした。そこに2年間にて、チャンピオンズカップを2回制覇した。

それから私はジュリアス・バーガーFCに入り、ジョスのハイランダーFCへと移籍した。そこでは少しだけだったね。すぐにジュリアス・バーガーに戻り、その後イタリアへと行って、レッジアーナと契約した。

そしてU-23代表に入って、1996年にはオリンピックで金メダルを獲得することが出来たよ」

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