フランス、パリで傷ましい事件が起きた。
多くの命を奪ったテロリストを送り込んだISISに対し、フランスは即座にシリアを狙った空爆を開始。仮初めの平和な世界は、何度かの爆発を機に終わりを告げてしまった。
当日にスタジアムで試合を取材しており、外からの爆発音を聞いたというフットボールジャーナリストのサイモン・クーパーは、「これまでは長くパリに住んできたが、これからも家族とパリに住み続けられるのか、正直解らない。」と目に見えない悪意に対する不安を吐露した。
ポスト9.11。世界の価値観を揺るがすようなアメリカでの大事件を古びたテレビ越しに見た数年後、筆者は国際関係学系の学部に進む事になった。
グローバル化とテロリズム。それは、筆者が大学時代にメインとして学んだ事の1つだ。今回は少し普段とは趣向を変えて、フットボールとテロリズムについて、グローバル化を関連させながら論じていきたい。論文の様に堅い文体になってしまうのは申し訳ないが、今こそ書いておくべきことだと感じている。
グローバル化とテロリズム。
グローバル化。世界が急速に狭まっていく現象、とでも言えばわかりやすいだろうか。
英語圏での辞書には「コミュニケーション、経済的な統合への世界的な流れ。サービス、資本、物資の移行が世界中で国境を超えて行われるようになることによって、世界全体の相互依存が進むこと」というように明記されている様だ。技術の進歩で、外国との距離感は明らかに縮まった。リアルタイムでのコミュニケーションが可能になり、言語の壁も徐々に薄いものになりつつある。
グローバル化とテロリズムは、無関係のものではない。国際関係学では、欧州の経済力を背景とした文化、価値観の押し付けが一つの争点として語られる。民主主義と資本主義。2つの価値基準と共に世界中に現れ、「近代化」という名の下に軍事力と経済力で圧力をかけ、価値基準を押し付けようとする欧州列強のやり方は、植民地主義に近いとも言われている。
実際、民主主義を前提としない文化にそれを持ち込むことで、混乱を招くことも少なくはない。筆者が学んでいたテーマの一つに「言語帝国主義」がある。これは、英語を世界の共通語として広める事の危険性に関する言論だ。文化と密接に関わる地元の言語が英語に取って代わられる危険性、そして国際的に英語話者ばかりが得をする世界になることへの懸念、などを論じたものだ。「母国語である英語を使いながら、国際会議などに参加出来るメリットは、実は大きいのではないか?」というのが言語帝国主義を主張する論者の主張だ。「英語が多言語を駆逐することは、実は欧州的な文化、価値観が少数文化を駆逐していくことではないのか?」という疑問は、非常に批判的な視点だ。
一方、グローバル化はテロリストが他国に進入することを容易くしている側面もある。航空機のコストも下がり、移動は以前と比べたら非常に簡単なものとなった。人種の坩堝になりつつある大都市には世界中から人が集まり、国籍が違うくらいでは目立つこともないだろう。インターネットを使えば、入り込んだ刺客との連絡も難しくない。更に言えば、インターネットで新たな仲間を募り、フランス国内に同志を作り上げることすら可能だ。
「内部に進入してしまえば、疑われることも少ない」。これは重要なキーワードだ。