アレッサンドロ・デル・ピエロ
「(マラドーナ、バッジョ、プラティニ、ペレに順位を付けられる?)
うーん。僕はペレのプレーを見たことがないからね。モンテカティーニのU-17の大会でプレーしていたときに会ったくらいだよ。
また、マラドーナにも会ったことがないんだ。テレビ以外ではね。
プラティニは、僕が子供の頃にユヴェントスにいたよ。彼は生きた神話みたいなものだ。
バッジョとは一緒にプレーした。彼は偉大なクオリティを持つ王者であった。人としても、選手としてもね」
「(これらの伝説的な10番のうち、誰が君に似ているかといったら、私はバッジョだと言うよ。違う?)
いや、全てが間違ってはいないと思う。おそらく我々は同じようなサッカーへの理解をしているはずだ。
これは幸せなことだよ。多くのサッカーファンの記憶の中に、我々の名前が同じように残っているというのはね」
「(トッティとの関係は?)
大きな尊敬を持った関係だよ。テキストメッセージはいつも送っている。
特定のものを除けば我々はかなり異なっている性格ではあるけど、とても似ているところもある。
一つ言えることがある。『我々は代表チームでもっと一緒にプレーしたかったし、そうしなければならなかった』と」
「(最も好きだった仲間は? また、難しい対戦相手は?)
最も好きだったのは、ジャンルカ・ペッソットだ。彼は神だよ。凄まじい一貫性を備えた人物だった。多くの人から尊敬を集めている。特別な人格を持った男だ。
上手く戦えなかったのは、サムエルだね。ただ、最後の試合ではハグをしているし、友好的な関係だ。
思い出さなければいけないのは、それはサッカーだと言うこと。結局、サッカーと呼ばれるものなんだ」
「(『バッジョがラファエロなら、君はピントゥリッキオだ』とジャンニ・アニェッリは言った。どう思う?)
まず言えるのは、彼は世界的なアイコンだったということだ。貴重な知性と驚異的なユーモアセンスを持っていた男だ。
サッカーへの理解という点では、まるで3歩先を進んでいるようだった。
ピントゥリッキオという話については、ちょっと真実を言おう。彼がそれを言ったとき、僕が最初にやったことは、まず百科事典を引くことだったんだ。
それから、その画家のことを調べたよ、そして今思えば、21歳の非常に優秀な若手に付けるには適当な定義だったね」
デル・ピエロ、自身の将来や自身のあだ名について語る
Text by 石井彰(編集部)
カズに憧れて全身赤のスーツを買ったことで校内一の人気者になったが、中身が伴わず一発屋で終わったというエピソードを持つ島根県出身のエディター。その影響か赤いチームを好み、ヴァランシエンヌ、レイションエス、ノッティンガム・フォレストなどを応援している。
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