ここで彼のキャリアを少し振り返ってみたい。

コモリは1972年生まれ42歳。フランスで生まれ、モナコのユースチームの選手だった。その後、モナコの下部組織で3年間監督業を務め、U-16のチームなどを率いた。そして1996年にコモリはアーセナルに加わる。

アーセナルでの7年間、コモリはヨーロッパのスカウトとしてチームに貢献。コロ・トゥレ、エマニュエル・エブエ、ガエル・クリシらを発掘。彼らがアーセナルの主力であったことは記憶に新しいのではないだろうか。その後、コモリはサンテティエンヌにスポーツディレクターとして迎えられ、スカウトからの出世を果たす。

そしてプレミアリーグの舞台に戻ってきたのは2005年。トッテナムがコモリをフランク・アルネセンの後任のフットボールディレクターとして招聘。メディカル、アカデミー、スカウト、そしてクラブの秘書部門の全権責任者として迎えた。

しかし、トッテナム時代のコモリは成功を掴めなかった。指揮官のマルティン・ヨルと衝突したり、獲得した選手から勝手に不満が公言されるなどいくつもの困難を抱えた。2008-09シーズン、チームのパフォーマンスが悪く、コモリの獲得した選手も批判さらされた。また、フアンデ・ラモスには補強の権限を与えず、最終的に解任している。最終的にハリー・レドナップが新監督に就任すると、コモリの務めていたフットボールディレクターのポジションは廃止されクラブを去った。

うまくいかなかったトッテナム時代だが、わずか3年の間にコモリは多くの有力選手を獲得している。その筆頭は現在レアル・マドリーで活躍するギャレス・ベイルであることは言うまでもない。ルーカ・モドリッチ、ジョバニ・ドス・サントス、ディミタール・ベルバトフなども彼がトッテナムに在籍していた時代に獲得した選手である。

トッテナムでフットボールディレクターの職を追われたコモリが再出発を切ったのは古巣のクラブ、サンテティエンヌだった。

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