母国コロンビア各年代とA代表の監督を務めた後、2007年より率いたホンジュラス代表では実力者を揃えながら気分屋で纏まりに欠けたチームの人心を見事に掌握。同国を28年ぶりにワールドカップへ導き、国民的な英雄としてホンジュラス国籍まで与えられたという逸話を持つルエダ監督。
彼は基本的にスアレス監督と同じく守備をベースにしたリアクション型だが、非常に博識且つ綿密な指導により選手からの信頼を集め、シンプルで規律に富んだチームを作ることに長けている。長所を伸ばすよりは短所をしっかり埋める、“補完”を得意とした指揮官と言えるだろう。就任から最初の公式戦となった2011年コパ・アメリカでは惨敗したものの、イバン・ウルタドやジョバンニ・エスピノーサら10年以上エクアドルを支えた“偉大なDF”から脱却できていなかったチームを少しずつ若返らせ、“博士・医者”と呼ばれるその手腕で課題にメスを入れながら纏め上げていく。
高地キトでの圧倒的な強さを今予選でも堅持しワールドカップ出場が視界に入ってきた矢先の昨年7月、国中を悲しみに包む悲劇が襲う。
2006年の代表デビュー以降エースとして代表チームを引っ張ってきた“チュチョ”ことクリスティアン・ベニテスが突如、心停止により所属先のカタールで27歳にして命を落としてしまったのである。元代表エルメン・ベニテスの息子というサラブレッドにして、エクアドル代表歴代3位のゴールスコアラーだったベニテスの死は戦力的にも大きな影を落とし、順調だったチームに大きな動揺を与えることとなった。
しかし、残されたメンバーは「チュチョのために」を合言葉に一丸となり、前回予選で敗れワールドカップを逃すことになった苦手ウルグアイを破って前回の雪辱を果たすとともに、最終的に4位で2大会ぶりの本大会出場を決めた。