自身が犯した罪と向き合いながらサッカーに励む一人の青年がクロアチアで1部昇格をかけた戦いに心血を注いでいる。

クロアチア2部ヴコヴァルのフィリピン代表DFタビナス・ポール・ビスマルクは、当時J2いわてグルージャ盛岡所属時の2022年10月29日に、酒気帯び運転による道路交通法違反の疑いにより、岩手県警から任意捜査を受けた。

同月31日に同クラブとの契約が解除され、ビスマルクは約8カ月間無所属期間を過ごし、現在はクロアチアで奮闘している。

インタビュー後編は兄タビナス・ジェファーソン(フィリピン代表DF、タイ1部ブリーラム・ユナイテッド)と再会を果たしたフィリピン代表での戦い、クロアチア1部昇格を目指す挑戦などについて熱く語った。

※飲酒運転は殺人、傷害につながる可能性がある重大な犯罪です。当記事は飲酒運転防止を啓発するためにタビナス・ポール・ビスマルク選手、タビナス・ジェファーソン選手の協力を得て掲載しました。飲酒した際は自動車、自動二輪車、自転車など乗り物の運転を必ず控えてください。

(取材・文・構成 高橋アオ)

代表で再会した兄ジェファーソン

盛岡との契約解除の1カ月後、フィリピン代表から初招集を受けてビスマルクは母の母国であるフィリピンにいた。

もともと日本国籍を取得してサムライブルー入りや父親の母国ガーナ代表を考えていた。

「ガーナ代表も考えていました。ただガーナ代表は大体ヨーロッパでやっている人たちしか招集しません。それもあってきびしいと思っていました。お父さんに聞いてみたら『ガーナのパスポートはいつでも取れるよ』と言われましたけど、ガーナにはまだ一回も行ったことがなかった。なおかつ自分も体を動かす環境が必要だったので、フィリピン代表で試合に出させてもらいましたね」

初めての代表に胸を膨らませていたビスマルクだったが、そこで思わぬトラブルに遭遇した。

「ぎっくり腰になってしまったんですよね…。そしてカンボジアで食中毒になって、1試合しかまともに出ていないんですよ。そこからですね。神さまが僕自身が変わるまではサッカーをする場を与えないというか。そこで罰が当たり続けたんですよ。その後も(新型)コロナ(ウィルス)に3回かかったので、きつかったですね」と苦笑いを浮かべた。

同代表には兄ジェファーソンがおり、事件後に代表チームで再会した。事件から間もないタイミングだったため、兄の胸中は「できればこういう形で再会したくなかった」と言うほど複雑なものだった。

フィリピン代表で兄ジェファーソン(左)と再会したビスマルク

ただビスマルクが苦しんでいたことも理解していたジェファーソンは「できればこういう形で再会したくなかった。でも、こういうときに兄として近くにいてあげられて良かったと思います。彼もつらかったと思うし、代表招集も盛岡のときからずっとされていて、弟も踏み出せずにいた。機会を与えてくれた代表チームも事情を知りながら、『まあ大丈夫でしょ』と招集してくれました。

そういう機会を提供してくれた代表の思いを汲んでいくのがいいんじゃないという話を本人にしたら、本人も『分かった』と言っていました。代表でつらい時期に一緒にいれられたのは良かったと思います」と弟を迎え、同じピッチで共闘した。

イレブンもビスマルクの犯した罪を知りながら温かく歓迎した。チームの愛称はタガログ語でアズカルス(雑種犬たち)と呼ばれており、欧米で生まれ育った選手たちが大半を占めるメンバー構成は、ガーナとフィリピンにルーツを持つビスマルクにとって居心地が良かった。

フィリピン代表イレブン(ビスマルクは2列目右から二人目)

「フィリピン代表は、自分の居場所が初めてここなのかなと思えた場所でしたね。日本にいて、自分とみんなが同じ言語を喋れても、見た目が違うことや、育った環境が全然外と家とでは違った。カルチャーが違うので、自分が合わせていました。

フィリピン代表へ行くとみんな外国育ちで、みんな『フィリピンママ』(父親が欧米人、母親がフィリピン人)なんですよ。どんな肌色をしていても育ちがほぼ似ています。話がすごくあったりとか、『僕と似てる人たちがいるんだ』とフィリピン代表に入って初めて思えました。フィリピン人は根本が優しいです。居場所を感じられたというか、ホームみたいな感じですよね」と安息の地を手に入れた。